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日本仏教のお坊さんに読んで欲しい一冊です。

更新日:2019年3月12日

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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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『ダニヤ経』を読んでくださったある和尚さんから、有り難い手紙を頂きました。その手紙への返信のおよそを今日の日記とします。

聖号 梅の花がほころび待ちわびた春を感じる時候となりました。先日はお手紙を有り難うございました。ダニヤ経の真価を感じて頂けたことが何よりの喜びです。  さて、以前に書いた『ブッダとなる瞬間』という拙僧の出版物を同封しておきます。日本仏教のお坊さんに読んで欲しい一冊です。  21世紀の現代、世界に起こっている仏教関連の出来事を見るに、私の見方では、初期仏教のあらたな興隆の気配を感じずにはいられません。しかし、私たち日本仏教の僧侶は、宗祖の教えから仏教に入門しました。それ故にその世界の動きに出遅れしている感じがしてなりません。日本仏教を否定する気はないのですが、とりわけ念仏宗には元気がないように思えます。私は仏教の歴史にしたがって、お釈迦さまの教え、すなわち初期仏教を学びその上から日本の祖師たちの教えを理解するべきだと考えています。そこで初めて自分の仏教者としての立ち位置が見えてくると思うのです。それには一旦、宗祖の教えを捨てなければ最初の一歩を踏み出すことができません。何よりの頼りにしていた信条、「念仏を捨てる」ということは簡単なことではありません。それが、ブッダが初期仏教経典で説かれている「信仰を捨てよ」という言葉と一致してきます。「犀の如くただ独り歩む」も同じ意味かと私は思うのです。私たちの先達の一遍上人は次のような言葉を残しています。 -------------------------------------------  念仏の行者で一番心に留めておくべきことは、南無阿弥陀仏ととなえるほかに何もないのである。昔から今日まで立派な人たちが定められた仏法の要義も、しょせんはかりそめのもので、真の念仏の行者は、そんなものは皆捨ててしまえばいいのである。わたしの先達である空也上人も、ただひとこと、捨てることだ、と言われたとある。これはまったく黄金のような言葉である。念仏の行者は、知恵も愚痴も、善悪の境地も、貴賤高下の道理も、地獄を恐れたり、極楽を願うたりする心も、悟りも、すべて捨てて申す念仏というものが、阿弥陀仏の本願に一番かのうものである。この心を心として声高らかに称名すれば、この世が浄土である。宇宙すべてのものは仏と一体になり、念仏をとなえているのである。もしわたしの言うことに納得いかないなら、それもそのままにして念仏を申しなさい。肝心なことは、愚かな者の心になって申すことである。  『一遍上人語録 捨て果てて』坂村真民 より

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おそらく、このような私の考えが主流になることはありません。それを承知して残された現世を独り生きることが私の仏教かと想う今日この頃です。  ダニヤが与えてくれたご縁に感謝いたします。                                   吉水秀樹 拝

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