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「小乗仏教」に対する誤解と混乱――日本では知られていない上座部仏教の実態



「小乗仏教」に対する誤解と混乱――日本では知られていない上座部仏教の実態


文:佐藤哲朗

ブッダと阿羅漢をめぐる誤った理解

現代日本では、価値判断を前提とした「大乗・小乗」という図式は「大乗・上座部」という相対的な表現に変わりつつある。しかし仏教の入門書を読むと、いまだに「小乗」を「上座部」に、文字通りただ言い換えただけの言説も目立つ。いくつかの「誤解」を具体的に検証してみたい。

誤解1「上座部仏教では、釈迦は現世における唯一の仏陀である。修行者が到達できる境地も阿羅漢止まりで、仏陀になる(成仏)の道は閉ざされている。」

上座部に到る初期仏教伝承では、仏陀は第一に「阿羅漢」(如来十号の一)であり、阿羅漢に到れば悟りのレベルは仏陀と同格だ。しかし経典が編纂された際、教祖たる釈尊のみを仏陀と呼び、釈尊の教法によって悟った聖者は阿羅漢と呼ぶように用語が整理された。

経典は偉大なる師、釈尊の言説を伝える目的で編纂されたのだから、この使い分けは合理的だ。部派仏教時代になると仏陀特有の能力について煩瑣な議論が起こるが、議論の焦点は菩薩の波羅蜜行による能力の差異だった。「煩悩からの解放」という修道の立場において、悟りの優劣が論じられたわけではない。

そもそも如来の教法によって修行を完成した阿羅漢を誹謗することは、釈尊を誹謗することと同じではないか。仏教徒である限り、大乗仏教徒もこの矛盾に悩んだ。摩訶迦葉、阿難尊者の法灯を受け継ぐ禅宗は、「不立文字、教外別伝」を説くことで事実上大乗経典をリセットした。日本臨済宗の白隠禅師も「内秘菩薩行、外現是声聞」(『法華経』五百弟子受記品)という経説を引き、声聞は実は菩薩であると強調した(『於仁安佐美』)。

出家しないと救われない?肉食も性行為も禁止?

誤解2「上座部仏教では出家しないと悟ることができない。在家者は天界への転生を願ってひたすら功徳を積む。」

初期経典には、チッタ居士など在家の聖者が多数記録されている。その流れを汲む上座部仏教でも、在家のまま瞑想修行に励み、悟りを求める人が多数存在する。ミャンマー出身のゴエンカ師をはじめとして、上座部系の在家瞑想指導者も珍しくない(タイやミャンマーでは「功徳行」として一時出家を行う)。初期仏教の悟りには四段階あり、最高の悟りを得た者が阿羅漢である。在家阿羅漢が成り立つか否かについては部派仏教で様々な論争があった。上座部では、阿羅漢に悟ると無執着の境地が極まるので、競争を前提とする在家生活は難しくなるのだと説明する。最高の聖者が一切衆生の利益のために働き続ける場所として、出家サンガが用意されているというわけだ。

誤解3「上座部仏教では、肉食も禁じられており、性行為も禁止されている。」

肉食を禁じたのは上座部ではなく、大乗経典の『楞伽経(ルビ:りょうがきょう)』だ。あの提婆達多(ルビ:だいばだった)も、釈尊に肉食禁止を迫って退けられた。上座部の比丘は、在家者から布施された食物は肉魚であっても受ける。それを批判して原理主義的に菜食主義を礼賛したのが大乗仏教であった。また、出家者の性交を禁じることは、大乗仏教でも継承された出家者の根本的な戒律(四波羅夷)である。日本仏教でも浄土真宗以外、建前は禁止だ。ゆえに禅宗ではいまも管長クラスは独身の僧侶が就任する。

まだ知られていない「小乗仏教」の実態

誤解4「小乗仏教は、僧院に籠る宗教的エリートによる、学問のための宗教の色を深めていた。仏教本来の一切衆生を救済する宗教としての姿を喪失した。」

これは「大乗仏教運動」の原因として必ず引き合いに出される言説だ。比較的中立的な書籍でも、大乗仏教時代の部派仏教は僧院に籠り「小乗化」していたと書かれる。しかし釈尊の言行を記録した経典(パーリ経典、四部阿含)はパーリ語など民衆の言葉で語られ、記録された。その教えも読めば理解して実践できた。一方、大乗経典には解釈学がなければ歯の立たないメタファーが横溢し、エリート言語であるサンスクリット語で伝承された。『般舟三昧経』など初期大乗経典に説かれたのは徹底した苦行主義であり、特定教義への排他的な信仰であった。「宗教的エリートによる」云々は、むしろ大乗仏教の特徴と言うことも可能だ。インド仏教の主流を占めた説一切有部の実態については研究途上であり、大乗経典の非難を受け売りするのは、学問的な態度から遠い。

大乗仏教が悩んだ菩薩道の性差別

誤解5「上座部仏教は大乗仏教と比べると、保守的であり釈尊の教えに近いが、あくまで釈尊の教えのままではない。」

これは「釈尊の教えのまま」をどう定義するかによって答えが変わる。上座部仏教は釈尊の言い伝えを教法の中心に据え、それに忠実であろうと努力した伝統であったと自負する。大乗仏教もそうだという反論は成り立つが、方法論はまったく違っていた。

ここで大乗菩薩道という仏教の「改革」路線が、初期仏教の先進性を失わせた事例を紹介したい。釈尊は女性の出家に積極的ではなかった。しかし修行して悟るという点では男女の差別はないことを明言していた。女性の阿羅漢尼も多数存在し、もっぱら尼僧の悟境を記録した経典『長老尼偈』も残された。

しかし一方、パーリ経典を含む初期経典には「正自覚者(仏陀)や転輪聖王が女として生れることはありえない」という記述がある(『多界経』)。この言葉を敷衍して創作されたジャータカ物語(本生譚)には、女の菩薩も転輪聖王も一人として登場しない。女王が統治する国は「蛮族の国」扱いである。大衆向けの仏教神話を普及させるために、仏教は男尊女卑のインド・アーリア文化と妥協したのだ。

大乗仏教の菩薩道(六波羅蜜)は、初期仏教~部派仏教で編纂されたジャータカ物語の菩薩修行や先行するアビダルマの菩薩定義を踏まえていた。彼らは仏陀の教えに従って悟りを得る「阿羅漢果」の成就ではなく、自ら仏陀となる「成仏」を修行の目的にした。そのため、大乗仏教は構造的に菩薩神話の性差別を教義の中心に組み込まざるを得なくなった。菩薩摩訶薩は、何劫にもわたって「女に生れない」修行を積むことで、超人的能力を手に入れると説かれた。

上座部でも、辟支仏(ルビ・びゃくしぶつ)と仏陀(正自覚者)を目指す菩薩は「性具(男根)を備える」ことが条件とされた。しかし上座部では、菩薩道を仏教徒の修行道として称揚することはなかった。仏教神話にひきずられることなく、釈尊の説かれた「解脱への道」を万人が歩めるように、注意深く門を開けておいたのである。一方、大乗仏教はその志と裏腹に、仏教本来の平等思想と、修行道に埋め込まれた差別思想との齟齬に悩むはめとなった。『法華経』の龍女成仏などが殊更に論じられたのはそのためだ。

日本仏教にとって釈尊とは何か?

たとえ小乗仏教という単語が使われなくなったとしても、日本人の持つ大乗的な仏教観までが相対化されたわけではない。「釈尊は複雜なことを説いたのではなく、後に発展した大乗仏教にこそ仏教思想の精華がある」という主張は、いまも市井の仏教書に溢れている。「釈尊が何を説いたかは確定できない」という言葉も仏教学者の口癖となっている。何気ない、その願望混じりの見解こそが、実は我々の「大乗的な仏教観」の核心なのだ。

日本仏教にとって、釈尊の直接の教えは曖昧なほうがありがたい。釈尊が「真空の存在」でいてくれれば、異世界の如来たちや菩薩たちの物語、つまり大乗仏教がひきたつからだ。高邁なる空の教えを宣揚したはずの『大般若経』で、人々が初期経典に記された釈尊のことばに回帰することを「悪魔のしわざ(魔事)」と恐れたのはなぜか? 釈尊の弟子たらんとする日本の仏教徒が、いまいちど熟考すべき問題ではないだろうか。



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