智慧について  仏教には。「〇〇智慧」という言葉がいくつかあります。

最終更新: 2018年12月8日


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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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智慧について  

仏教には。「〇〇智慧」という言葉がいくつかあります。「名色分離智慧」「無分別智慧」がその代表です。そもそも、「智慧」とは言葉で説明のできないものです。知識や記憶とは次元が異います。  スマナサーラ長老が、正見=「見解のないこと」とサラリ説かれているのは流石だと思います。「見解がない」とは、「見解をもたない」=「分別しない」ということと理解できます。けっきょく、正見 =「無分別智慧」とも言えそうです。

 また、ややこしい仏教用語が増えたと思わないで欲しいです。「無分別智慧」もこころが穏やかで健康正常なとき日常にあらわれていますが、気づかないだけだと思います。

 以前の車の運転の例で言うと、「前にのろい車がある」「前の車は邪魔」というのは見解で、分別思考です。無分別とは、そのような思考が浮かばない状態です。  ご存知のように、私たち人間は貪瞋痴のエネルギーで生きています。「欲」は一番わかりやすいです。「~したい」と私たちが行動するときには、必ず欲があります。  目的地を決めてそこに行こうとすることは、「欲」ですが、欲をずっと持ち続ける必要はありません。目的地を決めたら、あとは「今ここ」に住して、安全運転に徹し、プロの送迎運転手のように淡々と運転すればよいだけです。前の車がおそければ、追い越しできる場所で安全にそうすればよいし、条件が揃わなければ静かに後ろをついて進めばよいと思います。余分な感情を作らなくても、どのみち状況は刻々と変わります。  見解がないときは、正常健康なので実感はありません。ただ楽です。力まなくても、日常で楽に過ごしているときには、こころが無分別の状態に近いこともあると思います。一生がそのようであるなら、それは覚者や聖者と呼ばれるのでしょう。

 「知識」と「智慧」は似て非なるものです。知識は説明することも学んで貯えることもできる、物質的なものですが、智慧は言葉の世界を超えたものです。それを踏まえたうえ否定形などを使って言葉で説明されています。

・智慧とは無智がない、無明がない状態 ・知識は氷で、智慧は水のようなもの ・知識は記憶や過去、言葉の世界にあり、  智慧はそこにはない ・どんなに冥想しても、智慧は蓄えられない   瞬時にあらわれては消えるもの ・形も色も香りもないもの

 もし、来世に持ち越せるものがあるとしたら、今生で修した「徳」と「智慧」だけとも私は聞きましたが、この点はよくわかりません。「業」と関係がありそうです。




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