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昼も夜も害を与えない(慈しみの心)でいる比丘は、いつも覚醒してつねに冴えている。



原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話 慈悲の心を育てる アルボムッレ・スマナサーラ

2019.06.03

昼も夜も害を与えない(慈しみの心)でいる比丘は、いつも覚醒してつねに冴えている。 「ダンマパダ」(300)📷日常のなかで慈悲の心を育てるには、自分の気持ちを周りに広げてみて、相手の気持ちを理解してみようと努めることです。たとえば満員電車に乗ったとき、「ああ混雑していやだなあ」と思うことがあるでしょう。そのときに「この電車に乗っている人も、自分と同じ気持ちなんだろうなあ」と、他人の気持ちを想像するのです。その瞬間に、それまでとは違う世界が生まれるはずです。動物を見ても、植物を見ても、どんな生命を見ても、自分の心を広げてみるのです。すると、それぞれが等しく同じ生命で、大海のようにつながっているものだという感覚が生まれます。自分というものは、一滴の海水のようなものであって、特別な存在ではないということがわかってきます。その感情が生まれてきますと、「自分という我が」が消えていきます。自我中心的な人は、いとも簡単に「他人を嫌いだ」と思ってしまうものです。すると、相手も同じように「いやだ」という感情をいだきます。同じ質の感情が返ってくるのです。ですから、自分が他人にしてもらいたいのなら、まず自分が他人にたいしてしてあげることです。やさしくしてもらいたいのなら、まず自分が他人にやさしくするのです。心配してもらいたいなら、まず他人の心配をすることです。他人の幸せを願う行為は自分のためでもあります。他人の幸せを願うことは、自分の心を喜ばせることになります。そして相手の心も喜びます。人の心が喜べば、同じ波動が自分に返ってくるのです。人を祝福するとき、お互いがいい気分になります。祝福するほうも気持ちがいいし、されるほうも気持ちがいい。ともに喜び合えるのです。それが慈悲の働きなのです。1 2


2019.06.03

仏の教えを喜び、 慈しみに住する修行僧は、 一切の現象が鎮まることから生まれる 涅槃に到達するであろう。

「ダンマパダ」(368)

すべては心からでています。心があって、考え、話し、行動しています。すべては心のあらわれだから、心が汚れていればすべては汚れたものになります。心がささくれだって荒れていれば、争いが起きます。心が苦しめば、どこにいても苦しい世界です。天国に行けたとしても苦しいでしょう。

逆に、心が安らかであれば、どこにいても安らかな世界になります。やさしい慈しみの心があれば、すべては清らかになります。人間関係も円滑に進みます。平和な心があれば、平安な世界で暮らすことができます。

すべての発生源である心を清らかにすれば、自然に生きていけるようになります。だれかと会話をしていても、そのことばは相手にたいする憎しみや嫉妬、怒りのことばにはなりません。相手を傷つけることばではなく、自然と他の生命にたいしてやさしいことばになっています。

ところが、根源である心を清らかにしないで、「わたしはやさしいことばを使うぞ」と決意してみてもつらくなるばかりです。まずやさしい心を育てましょう。そうすれば、わたしたちの行動はやさしい行動に変わります。慈しみの心さえあれば、生き方そのものが、そのまま正しい生き方になってしまうのです。

お釈迦さまは「瞬間でも慈しみの心を育てなさい。それだけでも立派なことである」と説かれました。慈悲の心がなければ、もはや仏教ではないといってもいいと思います。慈悲は仏教の真髄なのです。しかし、慈悲の心はなにもせずに放っておいて生まれてくるものではありません。努力して育てていくものです。

お釈迦さまは、日常のなかで実践できるものとして、「慈悲の瞑想」を教えました。慈悲の心を育てるには、まず「自分自身が幸せでありたい」ということを、よく確認しなければなりません。そしてつぎに「自分だけが幸せでいられるはずはない」という当たり前の事実に気づくことです。自分の幸せは、周りの人びとの幸せがあってこそ成り立つのです。

慈悲の瞑想とは、どんなときにも心のなかで「すべての生命が幸福でありますように」と念じていくものです。まず「自分の幸せ」、つぎに「親しい人の幸せ」、そして「親しくない人の幸せ」「嫌いな人の幸せ」「自分を嫌っている人の幸せ」、最後に「生きとし生けるものすべての幸せ」を念じるのです。そして、できるだけ怒らないようにしていかなければなりません。ひとたび怒ったならば、慈悲の心はたちまち消えてしまいます。

「わたしを嫌っている人も幸せでありますように」「わたしが嫌いな人も幸せでありますように」と念ずるときには、やはり腹が立ったりするかもしれませんが、がまんして念じるのです。するとそのうちに、「あの人も、この人も幸せであってほしい」という気持ちになってきます。「みんなが幸せであってほしい。どうして、あの人たちは苦しんでいるのだろう」と、他人にたいする心の視野が広くなってくるのです。慈悲の瞑想が深まっていきますと、親しい人の幸せを念ずるときには、どんどん人数がふえていきます。

「生きとし生けるものが、幸せでありますように」と、朝から晩まで、寝ていても思いだせるほどに念じていくのです。

そうすると、自我中心の心が、徐々に、慈しみの心に変わっていきます。次第に人生の悩みや苦しみも消えていきます。こうして、慈悲の心が育つとやさしい心になっていくのです。人の幸せを喜べるような心になっていきます。それこそが、エゴを乗り越える道なのです。

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「ダンマパダ」とは、「真理のことば」という意味です。わたしは「お釈迦さまのことばにいちばん近い経典」と言われるパーリ語の「ダンマパダ」を日本語に直訳し、一人でも多くの人にお釈迦さまの教えを伝えたい、と願っています。 お釈迦さまの教えを「一日一話」というかたちでまとめ、それぞれにわたしの説法を添えました。大切なことは、お釈迦さまの教えを少しずつでも実践することです。そうすれば、人生の悩みや苦しみを乗り越えていくことができるでしょう。

アルボムッレ・スマナサーラ

📷 *アルボムッレ・スマナサーラ長老(**Ven. Alubomulle Sumanasara Thero**)* テーラワーダ仏教(上座仏教)長老。1945年4月スリランカ生まれ。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとる。1980年に国費留学生として来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は日本テーラワーダ仏教協会で仏教伝道と瞑想指導に従事する。他にNHK教育テレビ「心の時代」出演、朝日カルチャーセンター講師などを務める。『ブッダの幸福論』『無常の見方』『怒らないこと』(和文)『Freedom from Anger』(英文)など著書多数。 📷 原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話 著者:アルボムッレ・スマナサーラ 出版社:佼成出版社 定価:本体1,100円+税 発行日:2003年10月 Amazonのページはこちら 📷 原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一悟 著者:アルボムッレ・スマナサーラ 出版社:佼成出版社 定価:本体1,100円+税 発行日:2005年11月 Amazonのページはこちら 📷 原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章 著者:アルボムッレ・スマナサーラ 出版社:佼成出版社 定価:本体1,400円+税 発行日:2009年6月 Amazonのページはこちら 1 2

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