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冥想日記 1月18日 『徳』

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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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冥想日記 1月18日 『徳』

 ほんとうに大切なものは見えるものではなく、目に見えないものだ、という言葉があります。

 このたとえ、私たちの肉体がそうです。生きている間は身体の奴隷のように生きていますが、いずれこの世に捨てゆきます。お金や車もその類です。ある程度は大切にしても、ほんとうに大切なものではありません。知識や経験、記憶など、「私」もこの目に見えるものの仲間です。やがて消えゆく儚いものです。

 目に見えないものでは、「徳」や「徳性」がその一つです。優しさと簡単に考えられてもいいです。お金をもって買い物に行けば欲しいものが手に入りますが、徳をもっていたとして、それで買い物はできません。そうして、目に見えるものばかりを大切に考えるようになってしまいます。私たちは、目に見えるもの、現世利益が大好きなのです。

 本当は、お金があっても幸せに生きられませんが、徳があればお金が無くても、誰かが助けてくれて、幸福に生きることができる仕組みになっています。

 命が終わるときに、この関係は逆転します。目に見えるものはすべて役に立たず、捨てゆくのです。そのときになって、ほんとうに大切なものに気づいても、少々手遅れです。

 私は、徳は確かにあると実感しています。しかし、徳を貯めることはできません。多くの人に徳の存在を身近に感じて欲しいです。徳を生むときには、ちょっと努力が要ります。なにかを捨てないと徳の道は開きません。  人に道を譲るときには、自分の都合や自我をちょっと脇において、捨てないと善行為はできません。私たちはいつも自分中心に生きているので、その中心を捨てないと徳を積むことはできません。しかし、実際にやってみたら「損した」ではなく、「喜び」が生れます。「喜び」を通じて、徳を身近に感じることが大切です。

 徳を積む道を「道徳」といいます。仏教では、「戒」「戒め」といいます。すこし、こころに錘をつけるような感じですが、この戒めが、私たちを萬の不幸から守る結果にもなります。

 徳は自分にとってもよし、他の生命にとってもよし、生きているときも、死ぬときも、死んだ後も役に立つのです。まさに、この世で生きる私たちの妙薬であり、この度人界に生まれたのは、徳を積むためとも見ることができます。

 生きている間にこの「徳を積んで」亡くなった人にも、廻向できるので、これを「功徳廻向」と言います。お釈迦さまの時代からあった言葉です。


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