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何の因果か、スマ長老が日本に来られて、テーラワーダ仏教を説かれたことが、

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協会の記事ではありません。

 サークル仲間の所感です。  

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吉水 秀樹


4月23日 瞑想日記 『今朝考えたこと』

以前、若い頃から私は釈迦仏教に傾倒していたことは話しました。しかし、その釈迦仏教はテーラワーダ仏教のことではなく、大乗仏教から見たお釈迦さまの教えでした。

 私の若い頃は、小乗仏教という言葉が普通に使われていました。大学の教授からもそのように教えられたと思います。

 大乗の意味は、「大きな乗り物」「優れた教え」「多くの人を救う仏教」…といった意味でした。それに対して、小乗とは「小さな乗り物」「劣った教え」「自分一人で悟りを目指す」…といったイメージで、「大乗仏教の方が優れている」と普通に考えて、それを疑うことがありませんでした。その時は「テーラワーダ」(長老たちの教え)という言葉も中身も知りませんでした。恥ずかしながらまさに、「井の中の蛙」でした。

 そのような邪見に私が堕ちたのは、日本の高度経済成長期という社会背景があります。東南アジアの国の中で、日本は敗戦したにも関わらず、経済的にはNo,1、文化やスポーツの面でも、ノーベル賞受賞者数、オリンピックでのメダル獲得数も、アジア諸国の中では抜きんで出ていました。Japan as no,1って言葉があり、何となく誇りに思っていました。

 その陰で、私が今ひれ伏して学んでいる、南伝仏教が伝わった国々、スリランカ・ミャンマー(ビルマ)・タイ…と、どの国にも当時の私にはパッとしません。

 爆弾を落とされて、敗戦に追い込まれたのに、アメリカ文化に憧れる気持ちはありましたが、それらの国々から仏教を学ぼうなどという気持ちは微塵もありませんでした。

 そうして、私の初期仏教(テーラワーダ仏教・当時の小乗仏教)との出会いは、遅れに遅れ、何とそれから30年後50歳を過ぎてからになりました。

 私は30年遅れても今はお釈迦さまの教えを学び、そこから念仏や日本仏教を見ています。私のような僧侶は日本では極めて少数派です。しかし、テーラワーダ仏教の瞑想を通じて、日本仏教を見直すことが私にはとても大切に思えます。

私のような存在を反日本仏教の異端者と見る人もおられるかも知れませんが、それはちがいます。日本がテーラワーダ仏教の国になることがいいことではなく、日本仏教はそれが何であれ、新たな元気を得て、進化しないと先に進めないと思うからです。

それには、初期仏教の実践を通して、念仏門の祖師たちの言葉、道元の言葉を理解することで、充分あらたな元気になると私は思うのです。特に念仏門の若い僧たちは、太陽系宇宙の仕込みが解明された現在、西方極楽浄土に生まれることを素直に願う、鎌倉時代の念仏者とのギャップを埋めきれず、原理主義に走るか、なんちゃって坊主で迷いの中に彷徨う若者が多いと私は感じるのです。

また、未だに日本では、「大乗仏教こそ優れている」という考えが根強く、さすがに小乗仏教という差別用語は使う人が少なくなりましたが、平然と小乗と上から目線で語る人も未だにいます。

 私の学生時代にも、もっと以前にも、テーラワーダの比丘の中には、お釈迦さまの教えを守り自ら実践し、覚り悟った人がいっぱいいたなんて知りもしませんでした。

そんな私が娑婆世界でゆられていた頃、ミャンマーではマハーシ長老が、タイではアチャンチャー長老が法を説いておられました。その教えの数々を私がその後、スマナサーラ長老やニャーナラトー長老から、授かることができたことは、何の必然なのか、まさに「盲目の亀が浮き木に合うが如く」有り難いことです。

 何の因果か、スマ長老が日本に来られて、テーラワーダ仏教を説かれたことが、私たち日本で初期仏教を学ぶ者にとっては、稀有な出来事、ほんとうに有り難いと思うのです。

 おもいつくままの乱筆です。

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