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パティパダーの八月号が送られてきました。 早速「智慧の扉」を写経しました…笑

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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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パティパダーの八月号が送られてきました。 早速「智慧の扉」を写経しました…笑

『自己愛を慈悲に育てる道筋』、毎回ながら面白いです。

 自己愛とエゴ(自我)の違いは、自己愛は生命の自然な感情ですが、エゴはその自然な感情に「執着」という圧力がかかった危険な状態なのだと理解しました。これは今回の初期仏教勉強会でもテーマになった、「欲」と「貪欲」の違い・「意欲」と「貪欲」(渇愛・Taṇhā)の違いにも通じると思いました。  意欲も貪欲も、どちらも同じ欲なのですが、良くも悪くもその欲に執着すると貪欲になります。冥想修行をしたいという意欲は必要なのですが、それがある境地に辿り着きたい、禅定を得たいとなるとそれは、苦しみであり、タンハーです。(それでは辿り着けませんが…)  ポイントは執着ではないでしょうか? お釈迦さまは、すべての苦しみの原因は執着であると説かれています。

 もう一点は、「自分にある自己愛に気づいて認めなければ、慈悲を育てる土台が成り立たない」という言葉です。慈悲の冥想をするのに、最初の「私は幸せでありますように」という言葉を素直に唱えられないという人がたまにいると聞きました。このような例はこの典型で、生命に真理としてある自己愛、自分の幸福を願う気持ちに気づいていない、あるいは何だかの原因があって、その気持ちを否定しているのでしょう。


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