「なぜ息をするのか?」

最終更新: 2018年9月18日

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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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  「なぜ息をするのか?」

 普通に考えたら、「酸素をすうため」と答える人が多いと思います。しかし、私は「酸素をすうぞ!」と考えて息をしているわけではありません。もちろん、苦しいから息をしているという自覚もありません。知識のない赤ちゃんでも、肺のない生命でも呼吸をしています。

 素潜りが好きで今年も海に潜りに行きましたが、深く潜りすぎて危険な目に合うことがあります。苦しくて、水面にたどり着く前に海水を飲んでしまって苦しみをとおり越して、恐怖を感じることもたまにあります。そのときは、息をすることで死の恐怖から逃れられたと実感する瞬間です。  自殺を希望している人でも、息ができなくなったら苦しくて、息をするだろうと思います。「死にたくない」というのは、思考の領域を越えた生命に共通する何かだと思います。

 長老の言葉に、『生命ははじめから惨めなもので、「なぜ食べるのか?」「なぜ呼吸するのか?」「なぜイスから立ち上がったのか?」「なぜまばたきしたのか?」…、すべての行為は苦しみから逃れるためなのです。』とあります。

 アメーバの細胞の伸縮も、私の筋肉の膨らみと縮みもどうやら、同じルーツのようです。世の中の人々のすべてのいとなみも、この苦しみから逃れるための伸縮と観察できます。

 地球の公転などの天体運動は何が原動力なのでしょうか? よくわかりませんが、「老死jara-maraṇaṃ → 無明 avijjā → 行 saṇkhārā 」の絡みとまったく無関係ではないように思います。というわけで、この世を支配しているのは、「愛」というより、「苦」dukkha だと私は思います。

※「みーんな生きとし生けるもの!」参考



※単行本(左)とkindle版(右)があります。

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