マインドフルウォーク 歩く冥想



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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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マインドフルウォーク 歩く冥想


 今朝は少し肌寒く、長そでのTシャツを着て裏山を歩きました。澄んだ空気が心地よく、なめらかな湿り気を含んでいました。私の歩く道では人に出会うことはあまりありません。オートバイや車の危険を感じることもありません。動物に出会うことは希にありますが、危険な動物にあう心配はありません。里山に吹く風と、多くの鳥たちの囀り、小川のせせらぎに触れ、ときおりトンボや蝶々などの小動物を見かけます。自分のこころの動きを見守っていれば、ひと欠片の憂いもありません。ただ一つの憂いは蚊に刺されることですが、殺さないように気をつけて払うので、これも大きな問題ではありません。  毎日同じコースを歩きますが、毎日ちがった発見がありその出会いが楽しいです。若い頃はこのような穏やかな感情のともなわない幸福を知りませんでした。何かを得ることや達成することにしか喜びを感じなかったのでしょうか。今思えば、幸福を求めること自体が不幸せです。

 歩く冥想では、目的を持つと空間がなくなります。集中があると空間が狭められます。集中とは排除の運動であり、抵抗を含んでいることに気づくべきです。それで、努力と分裂が生まれます。集中には方向性や、それゆえの思考も含まれていますが、気づきには方向性も思考もありません。

 マインドフルネスとは、このような運動から離れて、無選択に気づくことだと思います。集中力は大切ですが、「気づき」と「集中」は別ものです。ヴィパッサナー冥想の初心者には集中冥想と観察冥想の違いを理解していない方も多いと思います。日本仏教の宗派が教える、念仏や禅の修行は前者に傾倒していると私には見えます。  また、「集中」と「集中力」とは別物です。当たり前のことですが、「マインドフルネス」=「こころ全開」と「集中」は相反するこころのあり方です。「集中」することばかりに気をとられると、仏教の目指す到達点とは違った方向に進みます。ただ気づいているということが肝心です。




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