協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。
『二つの今ここ』
仏教を学ぶのに「今ここ」や「あるがまま」はキイワードになります。今ここも二つのとらえ方があるようです。 一つは、輪廻のなかの今ここ。もう一つは、輪廻を超えた今ここ。 ある聖者の言葉に「無明が過去に向かって無限に伸びています。」とありました。凡夫の考える今ここは、無智と無明に根ざしており、憎しみ・恐怖・貪欲を含んでいます。このようなこころの状態にある人にとって、世界は旧来の悪感情や条件づけを含んだ輪廻のなかの囲いある世界です。
冥想によって、私が誰でもない。時間がない、空間がない。想念やイメージする働き思考の運動がない。望むことや追及することがない世界をほんの一瞬でも垣間見ることができたなら。そこが安らぎであり自由であることが理解されると思います。それが輪廻を超えた今ここのように私は思う。たとえそれが一瞬であっても、その瞬間は人類の文化や文明を超えた瞬間であり、そこに安らぎがあることを知ることが光であり安らぎです。
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