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「あなたの休日は?」~安心感という病~






「あなたの休日は?」~安心感という病~ #仏教 #Buddhism #スマナサーラ長老 #無常 #人生 #楽しみ #変化 #永遠

 

人生は、休めません。なぜ人は、休もうとするのでしょう。なぜ安定と安心感を目指すのでしょうか。一定した収入、安定した生活を目指しても、一切が無常であることの存在の中では、あり得ない話です、“ウサギの角”を探すような無駄な努力になります。

 結婚したばかりの若夫婦は、相手に気に入られるように努力しますが、いつの間にか安心感の病にかかって努力を止めるのです。それですべて崩れていくのです。結婚に限らず、他のことにしても、人生に完了なんかはありません。勉強を完了した、能力向上を完了しました、金儲けを完了しました、などは成り立ちません。結婚を止めました、勉強を止めました、等々なら言えます。完了とは言えません。人生は休めません。この認識が不足しているから、人生は失敗するのです。

 前にも述べたように、世の中は「無常」です。変わり続けているのです。それなのに、人は楽しい瞬間だけ、変わらず安定することを期待するのです。

 おいしいご飯を前にして味わえる幸福感が、続いてほしいと思ったとしましょう。食べるご飯がなくなるから、楽しめなくなります。ご飯がなくなるから食べないことにすると、味わえる楽しみがなくなります。どうにもなりません。その瞬間だけ楽しむしかないのです。

 試しに後で楽しもうと、いま行うべきことを後回しにしてみましょう。あのおいしいご飯が、賞味期限が切れて食べられない状態になってしまうのです。人生の楽しみについても、後回しにする人は、人生の賞味期限が切れるまで待つことになるのです。

 楽しみは無常から生まれるのです。親と子の関係を考えてください。子供が小さいときは、早く大きくなることを期待する。子供のわずかな成長も、大喜びの種になる。何か喋っただけで、ハイハイしただけで、立ち上がっただけで、母の心は大祭りです。何のこともなく、ただ無常を楽しんでいるだけです。しかし、それは期待して訪れた無常なのです。

 ところが、思春期を迎えて反抗期に入ると、「あんた変わったね」と悲しむのです。この場合は、無常を悲しむのです。子供が成長することは避けられないと知っているのに、その成長(無常)は認めたくない。それで苦しみが始まるのです。

 生きていくことは、変わっていくことです。楽しみも変化するので、長く取っておけるはずがありません。楽しみとは、その瞬間・瞬間にあるものです。

 無常を楽しむ母親なら、赤ちゃんのときから起こる日々の成長を、その瞬間で楽しむのです。反抗期も、家出することも、結婚して親から離れることも、うるさいと親に逆らうことも、すべて成長の過程で起こることなので、楽しめるのです。孫が生まれたら「ああ嫌だ。私はこんなに若いのに、おばあちゃんになった」ではなく、楽しめるのです。

 はっきり言います。無常を認める人にとっては、衰えて死んでしまうことも楽しい出来事です。しかし、このような生き方は、人間にとっては嘘のように聴こえる。それにも理由があります。

 人には無常以外、楽しみは存在しないのです。しかし、潜在的に変化に逆らおうとするのです。永遠なものに憧れるのです。永遠とは、空に描いた絵のようなものです。無常を知らないことを「無明」と言います。無常に逆らうことを「無知」と言います。無常に逆らう行為は、愚か者の生き方です。愚者には、幸福な生き方は期待できません。

 すべてが無常であることを知り、楽しみながらその瞬間ごとのものであることが理解できれば、すべての変化を受け入れられるようになります。無常を知る人は、決してくじけません。


▼参考テキスト Kindle版「くじけないこと」

~生きとし生けるものが幸せでありますように~


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