危難のなかで真理に目覚め、慈しみのこころで手をつなごう

最終更新: 4月12日



危難のなかで真理に目覚め、慈しみのこころで手をつなごう

こころの感染を防ぐブッダの戒め 危難のなかで真理に目覚め、慈しみのこころで手をつなごう アルボムッレ・スマナサーラ 日本テーラワーダ仏教協会 貫首  人間は、「われこそ偉い」という気持ちで毎日生きています。しかし、今回の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によって、それは誤りであると自然界から厳しく突きつけられました。仏教徒として私たちがまず自覚すべきなのは、人間は自然の流れに従って、一日一日をやっと生きている存在に過ぎない、ということです。「人間こそ地球の主人」という傲慢な態度は捨てるべきなのです。目にも見えない、細胞の100分の1以下の大きさしか無いウイルスによって、人類社会がどれほどダメージを受けていることか。仏教的に言えば、地水火風が少しでも変調をきたしたら、もう命は成り立たないのです。私たちは「生きていて当然」という自我を抑えて、「今日もおかげさまで、無事に死なずに済んだ」「今日も見事に死ななかった」という謙虚さを育てることです。冗談っぽく聴こえるかもしれませんが、これは真剣な言葉なのです。一日生きている、ということは奇跡です。身体の約40兆の細胞はいつ変調をきたすかわからないし、また外部からの攻撃も絶えないのですから。「やっと一日生きられた」という気持ちで過ごすことは、自我を抑える、とてもよい修行になります。それで心の安らぎに至るのです。真剣にそう考えて生きるならば、悟りに達することもできます。  次に強調したいのは、COVID-19の流行に対して怒り憎しみを持っても何の意味もない、ということです。自然界は偉いのです。自然の力の前には、全知全能の神様も引き下がらないといけない。世界中の教会もモスクもお寺も、皆ウイルス感染を恐れて活動中止しています。ですから、どうしても自然界には太刀打ちできないと理解すべきです。私たちはただ、皆の命をできるだけ頑張って守らなくてはいけません。今回、COVID-19は私たち人類にそのことを教えているのです。分裂することなく、皆で手をつないで、協力しあって命を守りましょうと。そうしない限り、皆の命は守れないのだと。そういうわけで、ウイルスに自分が感染しないように気をつけることも慈悲の行為です。自分から他人に感染を広めないように気をつけることも慈悲の行為です。この際、私たちはすべての生命に慈しみ(メッター)と抜苦の気持ち(カルナー)を抱いて、やさしく生きてみようではないか、と決意しましょう。「もし自然界が許してくれるならば、その範囲で生きてみよう」という無執着と安穏の心をもって頑張りましょう。 ~すべての生命に苦しみを乗り越えることができますように~

71回の閲覧

友縁