ブッダの瞑想法――その実践と「気づき(sati)」の意味(3)後編

最終更新: 2018年11月11日



ブッダの瞑想法――その実践と「気づき(sati)」の意味(3)後編

2018.11.02



日本テーラワーダ仏教協会編集局長・佐藤哲朗氏(幡ヶ谷・ゴータミー精舎にて)

Q2 ところで、悩み・苦しみの原因とはいったい何でしょうか。

ここまでの説明から、「わたし」「わたしの」「わたしのもの」という自我の錯覚こそが、悩み・苦しみの原因だと言うことができます。以上、終わり……なんですが、せっかくですので、お釈迦さまのもう一つの説明も紹介しましょう。われわれのこころにある渇愛(渇き)が悩み・苦しみの原因である、という話です。

お釈迦さまが初めて体系的に教えを発表した「初転法輪」では、苦集滅道という四つの真理が語られました。①苦聖諦は「悩み・苦しみ」とは何かという真理。②苦集聖諦は「悩み・苦しみの原因」とは何かという真理。③苦滅聖諦は「悩み・苦しみが無くなった境地」とは何かという真理。④苦滅道聖諦は「悩み・苦しみを無くすための方法」とは何かという真理。

①について、お釈迦さまは生・老・病・死などを並べたうえで、「要するに五取蘊が苦である」と仰っています。取(ウパーダーナ)とは、仏教用語で執着のことです。五蘊すなわち身体とこころに執着している状態が、悩み・苦しみなんです。

それで、苦を作り出している原因は何かっていうと、渇愛・渇望(パーリ語:タンハー、サンスクリット語:トゥリシュナー)だと言うのです。渇愛の意味は、そのまんま「渇き」なんですね。この渇きが、生命を輪廻させてしまう。喜びと欲望で絡み合って、世の中のものごとに喜怒哀楽を起こして執着させてしまう。渇愛は、われわれの心に生まれる超強烈な衝動です。

この渇きには三種類あります。①視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という感覚的刺激への渇き(欲愛)、②存在への渇き(有愛)、③虚無への渇き(無有愛)です。


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