5月19日 冥想日記 『五蘊皆空』





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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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5月19日 冥想日記 『五蘊皆空』  般若心経に五蘊皆空という言葉があります。私の体験からお話しします。  今朝は、久々に何も予定のない日です。お堂で何時ものように坐る瞑想をしました。 「今日は何もない日だから存分に瞑想するぞ!」と少々のモチベーションがありました。しかし、坐ったら自分で進んで予定を作ろうとしています。植木スイレンの世話や買物…、私の本心はどうなっているのでしょうか。  40分は過ぎていました。なんだか未だこころの安らぎがありません。ちょっとした焦りの感じがありました。その焦り衝動に気づいて、ハッと我に返りました。  普通人々は、幸福感を求めて生きています。それこそが人生です。しかし、これらは五蘊というザルの中で幸福感を探し求めているようなものです。(五蘊は正しくは五取蘊といい五つの執着の塊りのことです。) 【色】物質的喜び・肉体そのものへの執着 【受】感覚的喜び・好き、美味しい、キレイ…という感受への執着 【相】記憶や想念知識に喜びを探し執着すること 【行】衝動・情動・感情的喜びを求める 【識】認識、感覚と記憶と感情を織りまぜて思考してその思考に執着すること  瞑想時、五取蘊は思考妄想とともに現れては消えます。要するに五蘊の中で必死になって、思考と時間を交えて幸福感を求めさ迷っています。そもそも、生きるとは五蘊の中で幸福感を求めて活動することで、それがdukkhaです。  私はそこに安らぎがないことを知識レベルで学んで知っています。いくら知識レベルで知っていても、生きることが五取蘊の中で起きているので、そこに本当の幸福がないことをいつも忘れてしまうようになっています。  そこで、我に返った、気づきを得たのです。 五取蘊を超えるとは、思考や言葉を挟まない、「今ここ」だけに焦点を合わせ、その刹那に生きることです。幸福感は得られません。しかし、そこに五取蘊を離れた安らぎがあります。それは求めるものでなく、そこにあるものです。私の姿を明らかに見て、諦めることが不可欠です。幸福感がないのはそこに「私」もないからです。


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