三学(戒定慧)

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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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吉水 秀樹

三学(戒定慧)

 先日ある坊さん仲間の会で私と同い年の僧侶が、最近眠りが浅く午前3時頃に目が覚めてしまう、なんとなく気怠いといった何気ない愚痴のような告白をしました。けっして深刻な悩みではないのですが、私と同じ中堅僧侶の言葉なので気になりました。

 彼はまじめで、私より周囲からの信頼も厚い人です。しかし、私から見ると仏教者としてまじめかと言うとそうとは言えません。50代に脳出血で倒れ死にかけたのに、未だにタバコは止められないようです。  私はそれとなく、その人を理解しやすいので、「何をしているときが楽しいのか?」と聞くと、彼は酒飲んでいるときかなぁ…と冗談交じりで答えました。私なら正直、「仏教を学んでいるとき、冥想しているとき」と答えると思います。

 たしかに彼は私以上の酒好きです。彼は温厚でいい人です。お坊さんとして周囲からの信頼も十分にあります。その彼は生き方の根本に見直すべき点がありそうなのですが、彼は気づいてはいないようです。人のことを言える私ではないのですが、彼の暮らしは習慣化していて、日々新しく生きることがなっていないように見えます。

 さて、仏教者が仏教者として生きるということは、三学を学ぶことです。三学とは、「戒・定・慧」のことです。

「戒学」とは、道徳をもって自らをいくぶん戒めて生きることを学ぶ道です。

「定学」とは、こころの静寂が幸福であることを知って、その道を歩むことです。

「慧学」とは、智慧のことです。知識を捨て、名誉や権力から離れ涅槃の道を歩むことです。

 この三学を歩めば、すべての憂い悩みは消えて、安らかに仏道を歩め、いつ死んでもよしとする覚悟も自然に育つと思います。ご存知のように、五戒もろくに守れない私が、人に説教できる立場ではありません。それでも、三学を中軸として、日々生きとし生けるものの幸福を願う言葉と共に、無常を隨念するこころの余裕があれば、少なくとも日々明るく生きて健やかに眠ることはできると思うのです。

 肝心なことは仏教者としてのゴールに至ることではなく、いつも仏教者としての出発点に立つことだと私は思うのです。彼に対して何をすべきかしないべきか思案中です。



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