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スッタニパータ 第1章の3 カッガウィサーナ・スッタ

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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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スッタニパータ 第1章の3 カッガウィサーナ・スッタ Khaggavisāṇa-sutta  通称『犀角経』について

「犀の角のように独り歩む」、「犀のように独り歩む」と諸説あるようです。どうでもいいようなことなのですが、一応パーリ語を学んでいる者としてレポートしておきます。

一つの問題は、  Eko   care   khagga-visāṇa-kappo. エーコー チャレー カッガウィサーナカッポー

khaggavisāṇaの訳し方です。

・Khagga ①剣 ②犀 男性名詞 剣と犀の二つの意味を持っている

・visāṇa 角・象牙

「犀の角」と訳すか「剣のような角」と訳すかの違いです。 パーリ語は単語の合成(compound)の仕方によって解釈が違ってきます。六合釈と言って、六つの合成の仕方があるとされています。  たとえば、学校に頭の禿げた先生がいたとしたら、その先生のことを「ハゲ」と読んだりします。本来「ハゲ」は頭髪の状態のことですが、その人自身を現す言葉に合成されています。  パーリ語では、象さんのことを「鼻が手」というような表現をすることが珍しくありません。なので「剣のような角」とは、「犀」のことでもあるようです。そう考えたら、この部分の訳し方は、「犀の角」ではなくて、単に「犀」になります。  確かに生き方は、「犀の角の生き方」ではなくて、「犀の生き方」と考えた方が理屈に合っています。

Eko は、eka 「一つ」の活用形 Careは、carati 「行く・歩く」の願望法optative Kappoは、「~のように」

 Eko      care      khaggavisāṇakappo.  独り     歩め      犀のように エーコー    チャレー   カッガウィサーナカッポー

そのような訳で「犀のように独り歩む」の方が、私もいいかなと思います。

※あるサイトによると、 英語でも「Rhinoceros horn=犀の角」と訳しているものもあるようで、二通りあるようです。

Renouncing violence for all living beings, harming not even a one, you would not wish for offspring, so how a companion? Wander alone like a rhinoceros.

すべての生き物に対して 暴力を放棄し 何ひとつ傷つけることなく 貴方は 子孫を望まないはずだ なのに、どうして道連れを望むことがあろうか? 独りで彷徨い歩め 一頭の犀のように

★このような細部はどうでもいいのですが、経典の大意に関しては、人任せにしないでそれぞれがしっかり学んで理解するべきだと思います。私は長老の仰っていることにも百%納得はいきません。 現時点で私はこの経の肝心な大意は、「仏教者はいつ如何なるときでも、組織・権威に対して注意深く、『独りあること』が大切」と理解しています。

※また、漢訳ではそもそも、「犀」でなくて「麒麟」と訳されています。


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