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道徳と嘘   <道徳のバロメーター ~すべての罪は嘘に始まり嘘に終わる~>




協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

道徳と嘘

 先日私より若い世代の坊さん仲間と、「戒め・道徳・生き方」について話し合う機会があり、その中で、いくつか気づいたことがありました。  私が企画したテーマですが、若い世代の仲間に、まずお坊さんである以前に、一人の人間として、親としての道徳や生き方を確立して欲しいと思ったからです。  いくら、立派な戒名を授かり中興上人と讃えられても、まわりの人からあまり尊敬されていな人も実際にいます。けっきょくその人の生き方を周囲の人はありのままに見ているのだと思います。  話し合いの中で、五戒が話題になったとき、ある人は五戒を自分なりに解釈して変形させて理解しているという発言がありました。例えば「生あるものを殺さないという戒めを私は受けて守ります」を「なるべく殺さないようにしています」とかいうように。  私は戒を自分なりに解釈することはとんでもない危険なことに通じると思いました。そもそも、なぜその人は戒を自分なりに変形させるのでしょうか? これはよくありそうな話ですが心理の深奥を理解するにならば大問題だと思います。たいそうですが生死の一大事だと思うのです。

 さて、この問題の根本にそもそも、「戒」とは何なのか? という問題があります。この理解も本当に人によって千差万別です。私は自分の著書にも書きましたが、若い頃から「戒」は規則であり、守らないものには罰があるという理解をしていました。なるほど守らなければ、因果法則でそれなりの結果をまねくことは間違いありません。

 私は初期仏教に出会って、「戒」をそのような罰則のともなう規則ととらえるのはとんでもない間違いだと、考えるようになり、そのことは自分の人生の転機となり、つまり生き方が変わりました。

① しない方がいいですよ。 (殺さない方がいいですよ) ② してはいけません。   (殺してはいけません)

確かに、この二つを並べたら、多くの人は不殺生戒を「殺してはいけません」と理解すると思います。しかし、「殺してはいけません」には、自由意志が無いという問題があります。現実の私たちの暮らしでは、戒には常に選択の自由があります。実際の人生の場面で人が不殺生・不妄語・不邪淫・不飲酒に接するときには、ならず選択があります。  私の「戒」の理解は、お釈迦さまは私の人生のあらゆる場面で、「あなた幸せになりたいのなら、殺さない方がいいですよ」と、慈しみのこころで私の自由意志に働きかけておられるのだと私は思うのです。私は「戒」を守れないときがありますが、その時に大切なことは、「私は今戒をまもれません」と、嘘をつかないことです。  戒を自分流に変形させる心理は、このときに葛藤・罪悪感が伴いそれと向き合うことの辛さから逃げているのだと思うのです。いったい誰が私を責めているのでしょうか?  私は五戒も満足に守れませんが、守れない自分をさらに責めるようなことだけはしません。(このことは戒を軽く見ることとは違います) しかし、お釈迦さまから授かるべき戒はそのまま授かることにしています。「戒」に対して、自分なりの理解をして変形させる人は、心理的に二重の負担が伴うと思います。

スマナサーラ長老は以下のように説法されました。 「罪を犯したくない、悪いことはしたくない、清らかな生き方をしたい、平安で幸福で生きていたいと希望する人は、世の中にある無数の悪い行為について悩まなくても結構です。『嘘をつかない』という一行を守れば善人になれます。」

 この言葉はまことに慈悲深いです。「戒」なんていい加減にしておけばよいという考えとは根本的に違います。私のような凡俗にはわかり難いのですが、「戒」はそもそも楽に幸せに生きるためのもののようです。

 このテーマについて考えたときに、ダンマパダの176が浮かびました。唯一の真理が何を意味するのかは謎ですが、

  1. どんな生命ににも自己愛がある

  2. お釈迦さまの教え

  3. 嘘をつかないこと

私は、「嘘をつかないこと」も含まれるのではないかと思うのです。

ダンマパダ176 13.9 チンチャ・マーナヴィカーの事例

唯一の真理を犯して、嘘をつく人にとって、来世を否定する人にとって、為せない悪はない。

Ekaṃ dhammaṃ atītassa, 唯一の真理を犯して、 musāvādissa jantuno;   嘘をつく人にとって、 Vitiṇṇaparalokassa,     来世を否定する人にとって、 natthi pāpaṃ akāriyaṃ.   為せない悪はない。

Pāṇātipātā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi Adinnādānā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi Kāmesu micchācārā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi Musāvādā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi Surā-meraya-majja-pamādaṭṭhānā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi


①「生き物を殺すことから離れる」という戒を受けて守ります ②「与えられていないものを取ることから離れる」という戒を受けて守ります ③「淫らな行為から離れる」という戒を受けて守ります ④「嘘をつくことから離れる」という戒を受けて守ります ⑤「酔わせるもの、酒・麻薬など、放逸の原因となることから離れる」という戒を受けて守ります

①生き物をそまつに扱うことで満足を得ない ②与えられたのでもないのに、他の財産を取ることで満足を得ない ③性的な裏切りで満足を得ない ④失礼で乱暴な発言で満足を得ない ⑤精神状態を変える薬物を摂取することで満足を得ない

 

※スマナサーラ長老の説法は下記リンク 道徳のバロメーター ~すべての罪は嘘に始まり嘘に終わる~  Lie is the death of morality



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