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瞑想日記 『夏の熱さに想う』



吉水 秀樹 ++++++++++++++++++++++++++++++++

協会の記事ではありません。

サークル仲間の所感です。  

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7月28日 瞑想日記 『夏の熱さに想う』  この夏の暑さは、「熱さ」って感じます。 この熱さを感じると、自業自得(人間の…)っていつも思います。  また、私が思い出すのは… 子どもの頃のこの地域の様子です。私の住んでいるこの寺から昔は、京阪の三室戸駅が見えました。 視界をさえぎる、マンションも住宅もありませんでした。  私の母は、寺から駅を見て、黒い衣で歩いている人影をみて、「老僧が帰ってきた」と、食事の準備をしたと語っていました。  50年前は、駅に行くまでに、田んぼのあぜ道があり、レンゲやタンポポが咲いていました。カエルやオタマジャクシ、メダカもザリガニも、小川やミゾに生きていました。  当時は夕方には豆腐屋さんがリヤカーを引いて、行商に来ました。私は母にたのまれて、アルミのボールをもって豆腐を買いに行きました。プラマークのゴミは出ません。  羽戸山という住宅地は、私のカブトムシやアケビ・スイドウシやマツタケを採る憩いの場所で、そこには大きな自然の池もありました。鯉もフナも、モリアオガエルもいました。  羽戸山・明星町・車田…今のような、住宅街・マンション、コンクリートの道路も何一つありませんでした。安養寺の墓地は昼間でもうす暗く、竹藪の中にひっそりとあり、ひんやりしていました。夜になると、寺の住居にまで、ホタルやカブトムシが飛んできました。  そのような場所なら、現在でも気温はこれほど上がらないのではないかと思います。  この熱さの問題は、人間が消えれば大方は解決するかもしれません。人間が諸悪の根源かと思います。  仏教でこの世のことを、「欲界」と言います。他にも、娑婆・忍土・五濁悪世…、ろくな表現はありません。  エゴのある生命が自我を最優先させて生き伸びようとする「欲のある生命の次元・世界」って意味です。  2600年も前に、お釈迦さまは「この欲の世界で生きることはdukkha」と説かれました。dukkhaは仏教の中核です。  dukkhaの意味は、  ★生きることにさしたる意味はない   生きることは虚しい・空虚・空っぽ  ★この世で生きることに完成はない   満たされない・満足できない  ★生きることが苦しみである     苦しみ・楽しみ・不苦不楽…このどれもが苦(dukkha) ◎dukkhaを理解して、生命のカラクリを見て、欲の世界から解脱する、もう二度と母体に宿ることのない終焉、生命卒業が仏教の本題だと、私は思います。  平和運動・人権研修…などへの参加は無意味とは思いませんが、基本的に他の生命の権利を優先しないのが生命(自我)の本質かと思います。自分を見ればそれは理解できます。それも、dukkhaに入っています。  ですから、この現実世界の理想世界は、個人の願望ではありえても、事実は幻です。すべての人間が、慈しみのこころで生きるなら、理想世界は理論上は成り立ちますが、その為には、一人ひとりが、最優先事項として、自我を超えなければなりません。  このような事実を達観して、可能な限り他の生命に迷惑をかけないで生きること。力を抜いて、淡々と生きることが、私たちの仏教者の生存の意味かと思います。 曰く 苦は聖なる真理なり dukkha ariya sacca. ※法友が教えてくれました。この動画を是非ご覧ください。6分で幸せになれます。吉水秀樹 三拝

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