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嘘について

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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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嘘について

 嘘について考えてみました。長老は嘘を悪業の親玉と仰いました。ブッダは嘘をつかないことが唯一の道徳とも説かれています。これらは、嘘から萬の不幸が生まれる。嘘をつかないということで、やがてすべての道徳が網羅されて、人格の完成に至るという意味かと私は理解しています。

嘘 = 不妄語、とは何でしょうか? 人を騙すことや、隠し事をすることが、嘘でありそれは確かに善いことではないのは理解できます。しかし、これらは表面的な理解であり、現象面に過ぎないと思います。

 そこで嘘の本質は何でしょうか? 私は、『こころに嘘がある』。この言葉に尽きると思います。この言葉の意味や理解の奥行が人によって違うのだろうと思います。 たとえ、「私は嘘をつきません」「私は仏教徒の五戒を守っています」「私は仏教を深く信仰しています」と言っても、こころに嘘があるなら、何の意味もありません。 『こころに嘘がある』とは、現象にあらわれる以前のこころの動きです。別の角度から見てみます。 ----------------------- 人に知られたくない秘密にしていることがある。そこを訊ねられたのに言わないでいる。これらのことが嘘になるのか? 悪いことなのか? という問いがありました。  長老は以前、「嘘」の対極にある八正道「正語」の解説で、「自分も幸せになって、人も幸せになる言葉を話す」といった説明をされていました。とてもわかりやすいガイドラインだと思います。そこに照らすと、「その言葉を語って、まず自分が幸せになるのか? 次に相手が幸せになるのか?」ということが、とても大切なことと理解されます。

「真実を語らない」「隠し事をする」、これらにも二種類あると思います。 「語るべきことを語らない」と「語る必要のないことを語らない」の二つです。前者は嘘です。後者は嘘ではありません。  そもそも、ブッダは「沈黙の聖者」と言われています。何か話す必要があるのかと静かに自問したいものです。

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 ここで、奥深いのは「意志」です。生命には最初に意志があります。意志によって動きます。意志があれば何をしてもよいという意味ではありません。しかし、意志の段階には完全な自由があるという意味です。この自由は何人も侵すことはできません。そこに、「~しなくてはならない」というのを入れることがこころの嘘です。

 シンプルに考えたら、自分を含めたすべての生命への「慈しみ」が原点にあることが肝心です。慈しみがあって、こころに嘘がない。自分の愚かさをよく知り、完璧な人間などいるはずもなく、相手も私も不完全な人間同士であることを理解する。誰よりも自分のこころを丁重に扱って、それと同じように他者のこころも尊重する。これが道徳・戒律の原点かと思いました。

 「こころに嘘がない」とは、自分のこころの動きをよく観察して、微細な悪感情も、「そうでありたい」「そうあってはいけない」という、ありのままから離れるエネルギーにも気づいていることだと思います。そこにはただ、ありのままの自分がいることでしょう。

追伸 : 挿入画像は、地蔵盆に子どもたちに「嘘をついてはいけないよ」と教えるためのカードです。私自身は小学校の低学年の頃に、「嘘はダメ!」って両親から教えられて、そのお陰で萬の不幸から本当に免れたと感謝しています。嘘をつかない(不妄語)には、確実な福楽、強力な現世利益があると思います。



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コメント

吉田 牧生 ありがとうございます。

とても分かりやすい詳細な解説に出会えてラッキーです。

「心に嘘がない」

そうでありたい。そうあってはいけない。これもつくったものですね。

ありのままの世界にはないですね。そうですね。

思考のない世界へ。

思考は慈悲喜捨の思考になりますように。

瞑想観察していると、ありのままの世界から間断なく飛び出していく心に気づきます。

その流れに乗らない。乗るなよ。

長老に「ほ〜っておく」をやるように指導されていますが、 これはとてもいいなぁと思いこれでやっています。


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