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つれづれに想う


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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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つれづれに想う


 お寺の住職や寺族の方々にも多才な方が多く、お寺で英会話教室・音楽・書道・ヨガ…、御詠歌や称名、末はカラオケから保育園経営まで、いろいろな文化教室、事業が寺院経営の複線で行われています。  ところで、私の寺では毎月、「気づきの冥想」と「初期仏教教室」を開いています。こう考えたら、私の活動は極めてまっとうで仏教寺院の本道と見えます。住職が音楽教室を開くのは問題ないが、冥想教室を開くのは止めよ、と言うのはそもそも可笑しな話です。  私は時が来れば初期仏教の冥想道場をつくり運営したいと考えていますが、極めて健康で仏教寺院の本来の役割を果たそうとしているのです。  私の活動が現在安定していて問題がないのは、まず檀信徒の方々に信頼されているからだと思います。檀家とのもめ事は一つもありません。次に総代さんや周囲の寺の住職と仲が良く、信頼されている点が大きいです。周囲の住職仲間とうまくやるというのは、まず組寺院内での役割を誠実にこなすことが肝心です。私は組寺院集団の中では中堅に位置しています。スマナサーラ長老は、「人間関係はある意味解脱するより難しい。」と仰いましたが、相手がいることで、相手は変えられません。挨拶からお金を出すタイミングと金額まで、細かい気づかいが要ります。私は自分で言うのも何ですが、いまや部内では長老さんの下で実際に集団を動かす立場にあります。ともかく、仲が良いのです。

 しかし、今後わたしの活動が周囲から批判される可能性もあります。一番怖いのは念仏原理主義(宗祖原理主義)のような人です。ひと昔前はこのようなタイプの方がおられました。現代はこのようなタイプの和尚さんはほとんどいません。これは浄土宗だけの問題ではなく、世襲制度や社会情勢と関係があり、どの宗派でも似た状態だと思います。そんなわけで、いろいろな問題はほぼ百%、人間関係の不和から生まれると思います。

私は今までに何度も言ってきましたが、組織とは恐ろしいものだと思っています。組織はどの組織もそもそも排他的で暴力的なのです。浄土宗・曹洞宗・テーラワーダ仏教会…、自民党・日本国・韓国・中国・人類…、組織に入って安心を得ている人は、解脱すること、預流果に達することもないでしょう。ブッダが「犀の角のように、ただ独り歩め」と説かれたのを私はこのように理解しています。組織に入って安心を得た人は魂を売ったも同然です。有身見・疑・戒禁取見・慢…、欲界の組織は利害関係など煩悩でできていると私は思うのです。  そんなわけで、私は物理的にはいろいろな組織に所属し、その組織の中で仲良くすることに注意して生きています。しかし、心理的にはどの組織にも所属していません。人間関係は厄介なのです。


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