2018年8月12日4 分

拙僧が投稿した『お施餓鬼・慈悲の心育む』

最終更新: 2018年9月4日

協会の記事ではありません。
 
吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

  「お施餓鬼」とブッダの教え  吉水秀樹

 拙僧が投稿した『お施餓鬼・慈悲の心育む』が、今日、8月12日の地方新聞投稿欄に掲示されました。

★投稿の原文
 
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 お施餓鬼  住職 吉水秀樹59歳
 
 お盆の季節に多くの仏教徒が行う祭事に「お施餓鬼」があります。「お施餓鬼」は、現代風に言えば「幽霊供養」です。私は若い頃「こんな非科学的な迷信行事は廃止したらいいのに!」と思っていました。しかし、今ではこれほど、道理に適った平和な仏教行事はないように思っています。お施餓鬼の本質は、目に見えない生命や小さな哀れな生命に自分の持っているものを与える実践です。儀式の中で「水向け」という作法をします。他の生命に水を与えるという意味です。経には、私たち人間にとってはコップ一杯の水でも、微生物にとっては大海の如くである。水向けの作法をすることは、彼らにとっては天に龍が舞う洪水嵐の如くであると説かれています。先日、寺の土間に一匹のちりめんじゃこが落ちていました。二三日経って気づいたら、何十匹ものアリが集っていました。私たちにとっては、小さなじゃこですが、アリにとってはクジラ程の獲物です。アリとじゃこを葉ですくって庭に置きました。お施餓鬼の真意は、私たち一人の持つ力は目に見えない生命にとっては、とてつもない威力と影響力が実際にあることを思い知り、自分以外の生命に対する慈しみのこころを育てることです。すべての生きとし生けるものが幸せでありますように。

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 テーラワーダ仏教を学んでいる人や、日本の坊さんでも、日本で広く行われている仏教行事の「お施餓鬼」の源流が慈しみの実践、慈悲喜捨の精神に基づいていることをご存知ない方も多いのではないでしょうか? 私自身も若い頃は、最も迷信じみた仏教行事だと思い違いをしていました。
 
 日本の仏教では、浄土真宗以外の大方の寺院がこの行事を盛んに勤めています。お盆に行われることが多く、先祖供養という大義の元に奉修されているのですが、スマナサーラ長老や誓教寺の藤本和尚さんの著書のなかでも、その源流がブッダの説かれた慈悲喜捨の精神に基づいていることが紹介されています。

 私は初期仏教を学び、ヴィパッサナー冥想を実践するようになってはじめてその本来の意義を理解するようになり、如法に奉修するようになりました。今では、8月16日の「お施餓鬼」の日には、100人以上の檀信徒がその本筋「慈しみの実践」として、お施餓鬼に参加されるようになりました。

 施餓鬼会の宣疏には、「夫れ龍は一の鱗蟲なるすら、尚蹄涔の少水を得ば、能く之を六虚に散じて以て洪流と為す。」と漢文で書かれてあります。この部分の意味をわかりやすく言えば「たとえ、水向け作法で用いるようなわずかな水であっても、その慈悲の行為は目に見えない生命や、肉体を持たない生命にとっては、龍が天に舞い、諸天で洪水嵐が起こるほどの力を持っている」と言った内容です。

 また、経の五如来の部分には漢文で、
 
★除慳貪業福智円満=欲と怒りを除いて、智慧を育てる
 
★破醜形円満相好 =醜い姿を整った形に変化させる
 
★灌法心身令受快楽=浄らかな水の力で喜びを与え、楽を得る
 
★咽喉広大飲食受用=喉を大きくして食べ物が食べられ満足を得る
 
★恐怖悉除離餓鬼趣=根源にある恐怖心をすべて除いて、昇天させる
 
 …とあり、一見仰々しい内容に思えますがよく読めば、他の哀れな生命に対して慈しみのこころで接して、慈悲喜捨の実践をするといった内容です。

 有名な「生飯偈」(サバゲ)=「汝等鬼神衆 我今施汝供 此食徧十方 一切鬼神供」の意味は、「他の哀れな生命、目に見えない生命、肉体のない生命に対し、私は今あなた方に施しの供養をします。願わくは、この食事をもろもろの世界へ行き渡らせ、餓鬼にも,神々にも、すべての生きとし生けるものへ捧げ供養いたします。」という内容です。

☆餓鬼を視覚的に対象化すると、六道絵図にあるような姿になりますが、もともと餓鬼には肉体はありません。だから幽霊のような存在なのです。つまり、その本質は「満たされない」という執拗な悪感情です。今、この世に生きている人の中でも、「満たされない」という思いのある人のこころは、欲望と怒りのエネルギーが蔓延していて、その姿が餓鬼道に他なりません。

 私は、毎年このお盆の時期になると、一人の日本仏教の坊さんとして、何か世間に訴えたい気持ちになり新聞に投稿します。自慢話ではないのですが、一年に一回しか投稿しないのですが実に採用率は、ほぼ100%です。タイムリーなのと本心で書いているからだと思っています。去年は「お霊膳」について書きました。
 
私は本当のところ、若い日本の坊さんたちにこそ、この記事を読んでもらいたいです。そして、仏弟子である自分自身を狭い教義から解放する。住職を縛る法門から解放すること。迷信じみた儀式や儀礼を超えて、一人の名もない仏教者として、ブッダの道を真っ直ぐに歩んで欲しいと願っています。               吉水秀樹 三拝 

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