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スマナサーラ長老の仏教法話

スマナサーラ長老の仏教法話


Q:一年前くらいに初期仏教を知りました。書店で見ると大乗仏教が主流で、お釈迦様が貶められているようで怒りを抱いてしまいます。大乗仏教と付き合っていくにはどうしたらいいでしょうか?

スマナサーラ長老の仏教法話

@jtba_talk 9月23日

A:気に入らんものがいらんと思ったら、この世で生きていられません。この世は嫌いなものばかりです。いろんな理由があって、いろんなもの[ごと]が起きているのだから、落ち着いているしかないんです。

中国や朝鮮半島、日本など[インド文化と]まったく違った環境で、仏教が生き伸びていかないといけなかったんだから。モンゴリアなどの仏教も全然違うし。それらは、お釈迦様の教えと比べたら違うというだけで。世の中は気に入らんものだらけですよ。それにいちいち怒っていたら自分が潰れてしまいます。

仏教の『慈悲の瞑想』で培うのは、それぞれの生き方を認めて放っておくということです。たとえば「お化粧好きの男性はおかしい」と腹を立てることはないのです。相手からかかってこない限り、放っておけばいいのです。

私も、大乗仏教の人が変なこといって批判して来たら対応しますけど。世の中では悪いこととされることをしてる人も、「悪いことしてる」と思ってないんです。麻薬やってる人も、コンビニ強盗する人も、それなりに自分を正当化する理屈がある[ものです]。

「これはよくない」とホントに思っていたら、できないんです。人がやっていることに、これは正しい・間違っていると突っかかると、自分が潰れます。「勝手にやってください、私は知りません」という態度でいるしかないのです。

バイクで暴走する人がいます。迷惑だけど、スピード出したければ、人がいない山でも行ってハチャメチャ走れば。暴走族を完全に禁止する、とかまで行かなくてもいい。彼らは無茶スピード出して走るのがかっこいい、と思っているんです。周りはハタ迷惑。それを理解してくれれば、何とかなるんですけど。

世の中を観たら、気に入らないものがたくさんあります。役柄として批判する役周りの人がいるし、黙っている人もいるし。私は大乗仏教とお釈迦様の教えを比較して、「これが間違っている」とかいうかもしれないが、それは私の仕事であって、皆さんの仕事ではないのです。

暴走族を取り締まるのは警察の役割です。我々の役割は「なんとかしてくれ」と苦情をいうだけ。「世の中の間違いを正すべき」と断言的には言えないのです。みんな間違いを犯しているんだから、キリが無くなります。しかし大勢に迷惑かけている人がいたら、それに対処する役割の人がいるんですね。

自分が警察官になる必要はないのです。子供が悪いことしたら、正すのは親の役目です。我々は自分の役柄を理解すること[が肝心です]。世の中みんな間違いを犯しているんですから、「まぁまぁ、勝手にやってください」と、穏やかな気分でいないといけないんですね。

大乗仏教も、教えはおかしいところがたくさんあるけど、社会には迷惑かけないんです。真言密教から出てくる怪しい坊さんはいるが、個人的にやっている[だけ]。真言密教の本山(高野山)が認めているわけではなくて、個人が悪いだけです。

時々、葬儀で高額のお布施を取る坊主もいます。その個人の坊主を批判すればいいだけ[でしょう]。本山で高額の布施を取れと言っているわけではないんです。「布施は気持ちです。気持ちは500万円です」とかね。それは大乗仏教でもテーラワーダ仏教でも、教えに反しています。

相場を気にしたら、それは[お布施ではなく]商売です。どこかの宗派の本山が「布施の額はこれだけ」とか決めたら、それは布施ではなくなってしまう。でも、[どの宗派の本山も]そんなことはしていないんです。

世の中では自分の気に入らんことがほとんどです。気に入ることはホンのわずか。それにいちいち腹を立てたら自分が潰れますよ。だから、「それぞれの生き方を認めて放っておく」ということが大切なんです。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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