冥想  ―思考と記憶―

最終更新: 2018年9月14日


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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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  冥想  ―思考と記憶―  先日、台風21号のあとの落葉を焼却炉で焼いていたら、煙が多かったせいで誰かが通報したらしく、警察と市役所の方が注意に来ました。正直不愉快な出来事でした。とくに若い役所の職員の態度が横柄に感じて、私は内心いらだっていました。翌朝の冥想で気づいたこと…。

 日常では気づき難いですが、思考妄想はひっきりなしに続くものではなく、思考と思考の間に空間があります。冥想では、この一見無価値な刹那の空間を見つけることが大切です。「気づき」とか「観察」と呼んでいる実際は、この空間の発見が入口です。この空間を発見したら、一つの思考が明確に見えてきます。つまり、その思考がどのようにして現れたのかという因縁が見えてきます。  たいてい私たちの思考は過去の不完全な記憶、感情に基づいて現れます。そうして、その過去を容認したら未来も容認してしまいます。

 そのときの私の妄想は完全なゴミであり、その思考妄想の元になっている記憶(感情)も百%のゴミだと納得しました。納得したら捨てることもできます。納得しないとゴミに価値見出して、大切にしまって置くはめになります。

「私が思考している。私の記憶。」と言うとき、これは危険です。なぜなら私は悪くなく、悪いのは、「相手であり、思考・記憶だ。」と言うのです。そうして、自分を守って自我を強めてしまいます。私がゴミであり、私が愚かで、私がガンだと、認めないのです。

 ご承知のように、過去と未来という二つが存在するわけではありません。実さいにあるのは、明確に分けられない不完全な意識と無意識という一つの状態だけがあります。私の過去も私が勝手に考える人の過去も、私の考えている現在も、すへてが不完全で(すべてのサンカーラ)それらの記憶の反応が意識てあり、意識とは過去のものです。  そうして、過去を掴んだ瞬間に、私たちは未来も手にしています。未来は修正された過去であり、そこに安らぎはありません。問題解決の糸口は新たな条件づけをつくらない、今ここの発見にあると思います。




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