#jtba「悪の親玉」~鋭い観察が無明を破る~ #仏教

最終更新: 2018年12月21日



日本テーラワーダ仏教協会

#jtba「悪の親玉」~鋭い観察が無明を破る~ #仏教 #Buddhism #スマナサーラ長老 #無明 #観察 #渇愛 #存在 #無智

 Avijjā(アヴィッジャー)は「無明」と訳されます。「明りがないから暗い」という意味ではありません。ありのままに現実を発見していない状況が無明なのです。ありのままの状況とは、真理です。真理を知らないことが、無明です。ですから、無明を「無智」と訳すこともできます。細胞たちは生きていきたいがために必死です。暇はありません。

 ありのままの状況はどうなっているのかと調べるのではなく、心に入るデータをフィルターにかけて、存在欲を支えてくれるか、存在欲を邪魔するか、という二つに振り分けます。言葉を換えれば、心は二種類の色眼鏡を通して世界を知ろうとしているのです。これは、ありのままに観察することではありません。すべての生命がこのように生きているから、「すべての生命に無明がある」と言わなくてはいけないのです。

 人間は知識なしに生きていられない存在です。しかし知識があるからと言って、無明がないと自慢することはできません。超がつくほどの知識人も、無明に覆われているのです。ありのままに世界を観察すると、「すべての現象は無常である」と発見します。その発見によってのみ、存在欲が成り立たないとわかる。それで渇愛が消えるのです。

 ものごとをありのままに観察しないことが無明です。生命が「生きる」という終わりなき戦いを少々やめて、ものごとを客観的に観察しない限り、無明を破ることはできません。知識を得ても、その結果、無明が強くなるのです。知識がない場合も、無明が強くなります。ブッダが語る真理を知識で学ぶならば、生命には無明があると発見することができます。その無明をなくすためには、ありのままに観察することに励まなくてはいけません。無明があるから、三種類の渇愛(五欲・存在欲・破壊欲〔非存在欲〕)が現れるのです。

Photo by Maria Badasian on Unsplash ▼参考テキスト 新書「ブッダの瞑想と脳科学」 https://goo.gl/i7zWeY ~生きとし生けるものが幸せでありますように~


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