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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。
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スマナサーラ長老と面談しました。
20年ぶりに東京へ出かけたのは、スマナサーラ長老にお会いするためでした。実は私は二作目になる著書を間もなく出版します。その帯に長老からのお言葉を頂きました。直接長老と対面してそのお礼をするための上京でした。12月6日夕刻にサンガクラブでの講話があり、そこでお礼を伝えることができました。学んだことをレポートします。
「豊かさ」がテーマです。
「豊かさ」とは何でしょうか? これは大問題です。最初に考えてほしいです。あなたにとって「豊かさ」とは何ですか? このことを自問することが肝心です。
★「物質的な豊かさ」と「精神的な豊かさ」、この両面がそろってこそ豊か? これは本当でしょうか?
★現在の日本はたいへん豊かな国である。それに比べたらスリランカやミャンマーなどの東南アジアの国々は、同じ仏教国なのに発展途上で、豊かさに陰りがある? これは本当でしょうか?
★12月に入って、カニやフグを食べる機会がありました。清潔な料亭で美味しいものを食べて満足し、豊かでした?
★デパ地下で買い物をしました。クリスマス飾りと賑やかなBGM、色とりどりの食材、華やかな衣装の売り子さん、多くの人でごったがえしでした。ふだんは1500円もあれば十分な夕食の用意ができるのに、一万円ちかい買い物をして大満足、豊かでした。
私は長老の講話を聞いていて、「豊かさ」とは何かが、ほんとうにわからなくなりました。それはいいことです。
長老は、一つの例を語られました。
スリランカで暮らす一家がありました。そこに日本人の客が来ました。粗末な食材で簡単にカレーを作ってみんなで食べ、ゴザをひいて客も土間で家族と一緒に寝て、一夜を過ごしました。
日本の家庭にスリランカ人が遊びに来ました。ごちそうを食べ食事は一緒に済ましましたが、彼が泊まる部屋がありません。さあたいへんです。困りました。
さて、どちらが豊かでしょうか? 豊かさは何処にあるのでしょうか?
豊かさは眼に見えるものではないと私は思います。「物心共に豊か」などと言いますが、あやふやな表現です。長老の講話を聞きながら、私が感じている豊かさの薄っぺらさに嫌悪感さえ覚えました。
講話の最後に質疑の時間があったので、私は長老に「今後、豊かさを見間違いしないように、仏教で説く【豊かさ】のガイドライン、定義を説いてください」と質問しました。 時間がなかったので、長老は簡単に説かれました。私の理解した要約です。
仏教で説く「豊かさ」とは、「知足」のことです。「小欲知足」という仏教用語がありますね。「足ることを知る」が、「豊かさ」のキイワードです。
そこにあるもので満足する。瞬間瞬間で事象は変化しますが、いつでもそこにあるもので満足する。それが「豊かさ」のように見えてきました。 先の例で考えても、わざわざ何かを探さなくても、「そこにあるものでみんなが満足する」こと。それに「どんなときでも、困らないこと」。少欲と知足のもたらす、福楽が「豊かさ」なのだとあらためて知りました。
そこに至るには、こころに戒め、つまり道徳を持つことや、慈しみのこころを育てること。こころの静けさを知り、固定した考えや決めつけを捨てて、いつでもどこでも周囲と調和できる柔軟さが不可欠だと思い知りました。
長老の言葉を側で聞くのは久しぶりです。その空間に居るだけでこころが落ち着いて禅定にいるようでした。まことに有り難い時を生きることができました。
物質にあふれた東京の街からは、何ひとつ豊かさを感じなくなりました。あふれる物質のために、こころの豊かさが見えなくなっている私がありました。
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