『通夜』




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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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5月31日 『通夜』  今日、通夜があります。私にとっては日常のことでもあります。私は読経30分・法話30分で通夜式を勤め、法話に力を入れます。 残念なことに集まった人たちは、さいしょ私の話に関心はありません。しかし、さすがに通夜の席はみんな、一言も喋らずに私の話を神妙に聴いてくれます。そういう訳で、私の準備も思い入れも半端ではありません。この夜、はじめて出会う僧侶に、はじめて仏教のお話を聞く、大人も子どもも少なくありません。このfistコンタクトが私にとってとても大切なのです。  さて、何の話をするのかというと、『死』について正面から話します。人間は成長すると「かたづけること」を学びます。遊んで散らかし、料理し食べて散らかし、仕事して散らかします。散らかしたまんまでは済まないでしょう? みなさん知っていますね? 散らかしたら、後片付けが必要です。  人生の終局においても「あとかたづけ」が必要です。終活という言葉は、流行語のようになりました。しかし、ほとんどの人が家財や資産など、物質的な後片付けしか知らないと私は思います。あなたが一番散らかしたのは何かというと、それはあなた自身、あなたのこころです。こころを自分で作った、自分で散々に散らかしたと知らない人が多いのです。  しかし、間違いなくこころこそ、自分で作ったものです。そのこころをおさめることが仏教の本筋で、それは決して他人任せにできないものです。自分で散らかしたこころは、自分でおさめます。 『すべてに終わりがあります』  最高のかたづけ方は、涅槃と言って、「もう二度と母体に宿ることのない完全な安らぎ」です。そこまで、往かなくても、すべてに対して「ありがとうございました」「思い残すことはありません」と、死の瞬間を人生の最高の極楽境にするように、日々生きたいものです。  そうするためには、日々の生き方が肝心です。仏教では、『死』とは言わず、経典には『生死』とあります。「生」は、人生の半部にすぎず、もう半分は「死」です。生きること(衣食住・仕事・恋愛…はじめること)ばかり考えていたら、人生は失敗に終わります。日々の暮らしで、「かたづけること」「終わること」「死ぬこと」を身近に感じて、実行する必要があります。  それを仏教では、無常隨念・死隨念といいます。裏返せば、「今を生きる」「日々是好日」ということにもなります。こんな内容のお話を子どもにわかるように、柔らかい日常の言葉で説き、『死』から目を背けない、逃げないようにと、願って私は通夜に向かいます。

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