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協会の記事ではありません。
サークル仲間の所感です。
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9月26日 瞑想日記 『なぜ智慧が人格を変えるのか』を読んで…
パティパダー10月号が送られて来ました。毎月【智慧の扉】が楽しみです。さっそく写経しました。今月号では、「智慧は人格を変える」ことが説かれています。
確かにそうだと思います。だからこそ、信仰より瞑想でこころを育てることが大切なのだと思います。
また、知識は死んだら終いでしょうが、智慧は死際も死んでも役に立つと思います。
証明は難しいですが、脳の表面ではなく、輪廻するこころのエネルギーに一種の習慣力として残るように思います。それを業kammaとも呼ぶのかもしれません。
悪業も善業も来世に影響あるとしたら、知識を超えて、善くも悪くもこころに刻まれたら、習慣力として次の生にまで影響するのでしょうか? まぁ、このような事はあんまり考えすぎないことが大切です。
文中に「耳に音が触れるわけでもなく」とあります。耳に触れるのは、音波という振動であり、その音波の振動から脳で音をつくります。「カァー!」と聞いて、何も見てなくても「カラス!」と認識するのは、このねつ造の仕組みで、その過程を観察するのが瞑想です。
次に、「つまり、聞こえたり見えたりしたということは、自分の心の中で起きた現象にすぎないのです。」とあります。
私が初期仏教のヴィパッサナー瞑想で最初に納得したことは、
「見たものが事実ではない」「聞いたことが事実ではない」「考えたことも事実ではない」。それらはただの私の思考妄想にすぎないということでした。
そうしてつくられるものがゴミのような知識であって、ゴミの集積である知識は仏道では役に立ちません。智慧はそれらを超えたもので、蓄えられない、言葉や形にならない閃光のようなものだと思います。
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