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9月24日 瞑想日記 『あなたは酔ってませんか?』 酔いについて jîvita-mada

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協会の記事ではありません。

 サークル仲間の所感です。  

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9月24日 瞑想日記 『あなたは酔ってませんか?』 酔いについて jîvita-mada

 酔いについての法話です。私はお酒が好きな生臭坊主で、説得力に欠くことでしょうがお聞きください。

 ちょっとした晩酌より深刻な酔いの話です。五戒を守ってお酒を飲まない人は、本当に酔ってないと言えるでしょうか? 酔いというのは仏教の世界では、「おごり・慢心・驕慢…」などの煩悩のことで、無智無明と深い部分で繋がっています。

 ですから、覚った人とは酔いから醒めた人、完全に悟った人はすべての酔いから醒めた人のことです。

 興奮し、感情的になったら、その奥に「酔い」があります。自分が興奮し、感情的になっていることに気づかないのが、無明に近い深い酔いです。

 仏教の世界で一番深い処にある酔いを、jîvita-madoジーヴィタマドー と言います。

Jîvitaジーヴィタは、【命・生命・寿命】の意味で、生きていることそのものです。

Madaマーダは、【おごり・慢心・驕慢】の意味で、何かに酔っていることです。

 つまり、「生きていることそのものに酔っている」「命に対する酔い」です。

 あらわれ方は、生きていたい・生命は尊い・病気を怖れる・生きる為なら何でもする…など色々なあらわれ方があります。「生存欲」そのものともいえるので、厄介な酔いです。

 「生存欲」は平和な国では見えにくい欲です。平和な日本でよく見える欲は、お金が欲しい、美味しいものが食べたい、映画やドラマを見たい、おしゃれしたい、旅行に行きたい、新しい車が欲しい…などの「五欲」です。

 五欲とは、五根(眼耳鼻舌身)に五境(色声香味触)が触れて生まれる五つの欲で、

五欲(色欲・声欲・香欲・味欲・触欲)です。

 そう云う意味では、日本人はみんな五欲に酔っています。

さて、根本にある、jîvitamadoをなくす、なくならなくても薄くするにはどうしたらいいでしょうか?

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 お釈迦さまの言葉

『比丘たちよ、生命には自分の命にたいする酔いがあり、それらによって身体で悪行為をし、言葉で悪行為をし、思考で悪行為をする。「私は死すものである」ということを常に観察するなら命にたいする酔いは消え、消えなくとも薄くなる』

『私は死するものであり、死という性質を乗り越えてはいない。このことを常に念じなさい』

『生きている者は必ず死にます。私も必ず死にます、と観察しなさい』

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※私は五戒も守れない生臭坊主ですが、スマ長老からこの法話を聞いてもう15年ほど、毎日上記のような死髄念をしています。

 ほんとうに「生存に対する酔い」は、薄らいで楽になっている実感があります。この深いところにある無明に光を充てることとは、仏道の中核だと思うのです。

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