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協会の記事ではありません。 サークル仲間の所感です。 ++++++++++++++++++++++++++++++++
8月9日 瞑想日記 『人間界について』 ―― 盂蘭盆とお施餓鬼の意義 ――
もうすぐ、お施餓鬼が開催されます。私の寺ではお盆の一番中心になる行事で、のべ約200人の方々がお参りされます。この時期にあらためて「人間界」という次元の不思議さを考えられることをおすすめします。
人間は哺乳類の霊長類の最も進化した生命です。同じ哺乳類でも、ライオンなどの肉食獣には速く走れる足と牙があり、獲物を狩る能力が備わっています。ワシは空を飛び、勝れた視力と鋭い爪で獲物を捕えます。コウモリには超音波を感じとり暗闇でも音波で対象を認識できます。しかし、彼らは同じパターンでしか動けません。
さて、人間の特徴は進化した【脳】です。他の生命に比べてその思考能力は抜きん出て、言語をつかい道具を作って、狩も農業も製造業もします。地球ではあらゆる生命の頂点にあり、他の生命を支配し、また破壊する能力も愛護する能力もあります。人間界には決まった一定のパターンはあっても、それを崩して新しいものを生む能力があります。
他の生命から見たら、神に近い存在であり、他の生命から崇められてはいませんが、怖れられています。すべての生命への影響力ははかり知れません。
地球では、都会や街を中心に際立った繁栄をしており、他の生命ら怖れられているのです。
仏教では、人間だけが他の肉体をもった生命と次元が分類され、五道六道の生命次元の一つになっています。
その理由は、他の肉体をもった生命の次元、哺乳類や鳥類・爬虫類魚類…(畜生界)では、生命の個体差がそれほどありません。賢いカラスとアホなカラスはありません。犯罪者になる犬と、ノーベル賞をとる犬もありません。
人間以外の肉体をもった生命は、それぞれのカルマにしたがって、ただ生存するだけで生が終ります。
さて、しかし人間界はどうでしょうか? ここはよく自分たちの世界を観察してください。人間界には、お釈迦さまやマザーテレサさんのような慈悲深い優れた知性をもった人間と、犯罪者になりヘビやカエルより劣るかのような悪人が存在します。
同じ人間なのに、月とスッポン、天と地以上の差があります。
この事実は、他の生命の次元にはあり得ないことです。このことは、仏教では人間だけが特別な次元であり、その特別さの一番の中核は、「人間だけが、他の生命と違って、個人の精進しだいで、生命の次元を卒業し、涅槃に入る可能性を持っている生命」と説きます。
しかし、逆に言えば本能的に備わった獣性だけに従い、一生を同じパターンで精進なく生きてしまうこともあります。
この場合の精進とは、次元を超える努力をすることにあります。仏道の精進努力とはその次元をこえるための学びや努力をいいます。
お釈迦さまの宣言された、「もう二度と私は母体に宿ることがありません」という、最上の安らぎに至る可能性を一応人間なら誰でももっているということです。
さて、ところであなたは、人間界の中でどのような位置に自分がいるのかを考えて見てください。人類はみな平等なんて言わないで、自分を観察してみてください。
直ぐには答えが出ないでしょう。答えが出ないのは、こころの成長が不十分と言うことです。もし、このことのほんとうの意味が少しでも理解できたら、私たちは精進しなければなりません。学ばなくてはなりません。
そうして、お釈迦さまが説かれた大切なことは、まずいかなる場合でも、
「他の生命の迷惑にならない生命になること」です。
わかりやすい言葉で言えば、
★他の生命に優しくする
★他の人に優しくする
★他の生命の生存をできるだけ助けるようにする
総じて言えば、仏教の道徳を守り、慈しみのこころを育てることです。このことから、出発して、できることなら生命の次元を卒業しなさい。苦しみの生存から離れて、もう二度と母体に宿ることのない涅槃に至りなさいということになります。
さて、そのようなわけで、お盆やお施餓鬼の一番肝心なことは、他の生命に優しくすること、施すことです。
お施餓鬼の意義は、自分より哀れな生命、困っている生命、すべての生命に対して「施す」というこころを育てることです。
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