2月14日 冥想日記 『涅槃会に因んで』



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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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2月14日 冥想日記 『涅槃会に因んで』  今日は二月の十五夜の逮夜、2月14日です。日本仏教ではお釈迦さまの涅槃を讃える「涅槃会」の日です。涅槃会に因んで、スマナサーラ長老の『料理人経』の経典解説をレポートします。この経典は、ブッダが四念処をどのように指導したかが説かれています。 ⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄  気づきの実践【四念処をブッダはどのように指導したのか?】  相応部 大編47 念処相応 『料理人経』Sūdasuttaṃ  王さまに仕える料理人に喩えて、四念処が解説されています。もし、料理人が王さまの、その日その日の好みの変化、甘いもの酸いもの辛いものを好んでいることや、その日の王さまの体調などを観察しない、また、その料理人が料理の技術を磨かず、ひらめき、インスピレーションに欠けていたら、その料理人はやがて、”You are fired!” 首になります。このような王さまに仕える料理人に喩えて、「四念処」瞑想の真髄が説明されている経です。  四念処とは、「身・受・心・法」身体・感受・こころ・法の四項目です。 ------------------------------------------- ①身体の観察 身隨念 kāyānupassnā   瞑想者は身体の観察から始めます。 ★身体の観察とは、呼吸・歩く・坐る・立つ・横になる・食べる・着る・着替える・掃除するなどの身体の動きの観察です。 ★臓器を個別に観察します。 ★死体を観察します。 ★地水火風のエネルギーを観察します。 ★精進します。 ここでの精進とは、知識・過去を使わない。思考を使わないで、思考止めることです。 ★常に今の瞬間に止まることに努めます。それをsampajāno 正知といいます。 ★気づきをたもつ。satimā satimant ★俗世間で現れる、欲と怒りが生起しないようにする。  このように精進しないと、彼は頑張っても彼のこころは安定しません。煩悩は捨てられません。身体の観察はしているが、こころが統一されず、禅定には至らず、こころの汚れは落ちません。 それは何故でしょうか? 彼は禅定を目指して、こころの清浄を目指しています。しかし、それは観察の結果として自然に現れるものであって、目的として目指すものではありません。  お釈迦さまが教えたことは、「観察しなさい」であって、「禅定を目指しなさい」ではないのです!  So taṃ nimittaṃ na ugganhāti 彼はその特徴をおしはかることをしていない。 ※身体の観察はそんなに長くするものではありません。自然に次のセクションに移行します。 ------------------------------------- ②感受の観察 受隨念 vedanāsu vedanāupassî...   身体の観察が進めば、感受・感覚の観察に自然と移行します。 ★身体に起こる感受の作用を観察します。 ★好き嫌いを捨てて、判断することを捨てて、如実に観察します。  苦・楽・不苦不楽の三つの感受が現れますが、そのどれがあらわれても「痛い!」という判断をしません。「痛み」と観察します。これが精進です。これに成功したら静寂が現れます。 ★俗世間的な生き方ではできない、今の瞬間に集中します。 ★無知な修行者はその特相を知らないので、禅定も浄心もあらわれません。 --------------------------------------  ③こころの観察 心隨念 citte cittāupassî.. ★感受の観察ができるようになると、こころの動きが見えてきます。 ★欲・怒り・怠け・興奮・落着きなど、こころのありのままを観察します。 望まないこころが現れることは、当たり前です。感情を捨てて、自分のこころのありのままを観察します。「興奮している」「退屈している」「さ迷っている」「落ち着いている」など、 ★このこころの流れ、特徴特相を発見しないと、瞑想がつまらなくなって、修行を中断してしまうことになります。 -----------------------------------------  ④法の観察 法隨念 dhammesu dhammāupassî viharati ātāpî sampajāo satimā ★ありのままの事象を観察し、熱心で、知性があり、正しい気づきを持つ者は、世間における貪り・憂いを克服するでしょう。 ★もし彼が、ありのままを観察することなく、その特相をおしはかることを怠ったなら、事象において事象を観察しているが、こころを安定させることはできません。煩悩を捨てられません。その愚かな料理人は、無能で、不器用で、自分のこころの特相をおしはかることをしなかったからです。 ★法の観察 Dhammānupassanā とは、以下の項目をありのままに観察することです。項目のみ紹介します。 ①五蓋  修行を妨げるもの ②五取蘊 私の本質 身体への執着・感受への執着…想・行・識。 ③六根 ④七覚支  悟りへの道しるべとして現れる覚支 ⑤四聖諦 ◎智慧ある修行者  現象の特相をしるならば、こころの統一が得られます。煩悩が落ちます。その聡明で、有能で、巧みな修行者は、現世において安らぎ解脱を得る。  その安らぎ解脱とは、ゆるぎなく、今ここの瞬間に止まること(satisampajaññssa)です。  ◎結論  聡明で、有能で、巧みな修行者は、自分自身のこころの特徴・特相を発見して安らぎを得ます。聡明な料理人が財産に恵まれるように、聡明な修行者は解脱に達する。  自分自身のこころの特徴・特相とは何か? それがこの経典の本質です。それはあなたが実践して、自ら確かめて見てください。 ※元の動画説法 2時間の法話です。 https://www.youtube.com/watch?v=LitjS_yP50A&t=2461s

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