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『誕生について』 生まれることは喜び? 苦しみ?

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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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『誕生について』 生まれることは喜び? 苦しみ?

 昨日は私の誕生日でした。たくさんのF友からお祝いのメッセージを頂きました。一人一人に返信していません。この場でお礼を申し上げます。  たまたま、私の還暦の誕生日に子どもの頃から一番親しくしていた甥に赤ちゃんができたという知らせも届きました。

 私は若いころから、誕生日を祝うことに疑問がありました。というより、誕生日という事実はないですね。人間だけの行事(妄想)で、人間らしいとも言えます。

 「日々是好日」はブッダの言葉ですが、「誕生祝い」とは似て非なるものです。一休禅師は門松を見て、「冥土の旅の一里塚」と詠まれました。修正会では、「歳あらたまる毎に、死(生悟)に近づくことを喜びなさい」という文もあります。

 六十を過ぎた人に死んで後もう一度生まれ変わりたいですか? と尋ねて、「ハイもう一度」と答える人は、愚か者だと私は思います。もうたくさんだと私も考えるようになりました。

 面白い言い伝えが私の寺にあります。私の母親から聞いた実話です。私が生まれる二年前に寺の座敷で私の母が姉を出産しました。明くる日、母が赤ちゃんを抱いていたら、たまたま近くの尼僧さんが来られたそうです。尼僧さんは赤ちゃんの顔を覗き込んで、社交辞令を言うことなく、「あぁ~可哀そうに、またこの世に苦労しにやって来たの!」と仰いました。母親はその言葉が忘れられなくて私に話してくれました。今になって私はその尼僧さんの言葉の意味がわかるようになりました。

 初期仏教=お釈迦さまは、「生」ジャーティjāti を、四苦(生老病死)の筆頭に置いています。「生」は「生まれる」こと「誕生」であって、「生きる」ことではありません。「生苦」、生まれることは苦しみである。生は苦である。生まれることは虚しい。「生の滅尽」が仏教の理想です。「もう二度と母体に宿ることがない」は仏教の理想である涅槃や解脱を言い表した言葉です。「生」は、仏教では「再び生まれる」という意味で、「輪廻」のことです。輪廻からの解脱が仏教の本道ですから、「生の滅尽」jātikhaya が私たちの本当の使命のようです。

「日々是好日」は、いつ死んでもよしと、念ずることだと私は考えて、毎日念じています。

私は老います。私は老いるという性質を乗り越えることはできません。

私は病気になります。私は病という性質を乗り越えることはできません。

私の好きなものはすべて壊れ、離れ行きます。すべては壊れ離れ行くという性質を越えることはできません。

私は死にます。死を免れることはできません。死は苦であって安らぎです。死の瞬間を人生最高の極楽境にしたいと願います。

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