相応部 55-40  Nandiyasakkasuttaṃ ナンディヤ釈子経


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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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8月26日 冥想日記  相応部 55-40  Nandiyasakkasuttaṃ ナンディヤ釈子経 の経典解説を聞きました。 ナンディヤの質問の要点は「預流果も放逸に陥るのか?」です。 結論はYesです。  預流果になっても、怠けたらダメってことのようです。  最初に長老は、仏道とは、一言で言うなら不放逸である。仏道=不放逸、仏道の心臓が「不放逸」と説かれました。  預流果は、ブッダと彼の教えにゆるがない確信を得た人のことなのですが、その預流果でも放逸になるとブッダは説いています。その核心の一偈は以下です。 ⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄ So  tena  buddhe  aveccappasādena  santuṭṭho na 彼 それ  ブッダ  確かな浄信   満足した ない uttari vāyamati  divā pavivekāya,  rattiṃ paṭisallānāya 上の 努力    日中 遠離   夜   独坐 『しかし、彼はそのブッダに対する確かな浄信に満足してしまい、昼に独り遠離すること、夜に独り坐る努力がありません。』 ⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄⋄  以前、預流果は怠けもの…? というテーマの話を聞いたことがありますが、その根拠になる経典です。   預流果の放逸 ・預流果の人は普通に在家生活しているのです。 ・俗世間では、ものごとは存在する(無常でなく常住)の立場です。 ・貪瞋痴の衝動で生きています。預流果にもまだ、欲・怒りなどの煩悩が残っています。 ・内緒で、気づきを実践して無常・苦・無我を確認しなければなりません。 ・皆の流れに乗ってしまうと皆と同じく悩み、苦しみ、失望などを経験します。 ・真理は現れませんという言葉の意味です。  預流果はまだ、阿羅漢ではないので、たゆまぬ努力「不放逸」に住するかどうかがポイントのようです。朝、冥想し、昼も気づきを保ち、夜も独りで坐す努力があれば、阿羅漢に至るということなのでしょうか? 詳しくは、長老の説法をお聞きください。 https://www.youtube.com/watch?v=DTGEq_KJTPE&t=2268s

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