『比べる』 最終 レポートまとめ


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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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『比べる』 最終 レポートまとめ


 さて、「比べる」ことについていろいろ検べてきました。食べることが好きで欲ばりな、現実の私には少し難しいテーマでした。最初にお話したように、「比べる」ことは簡単にはやめられません。「比べる」はまだしも、「計る」は「生きる」ことと同義語のように思えるので、止められません。しかし、気づくことなら出来そうです。まずは自分が比べていることに気づくことです。気づくには「比べる」ことがどういうことなのか自分を観察して「比べている」事実を理解することです。

★「気づく」 ★「比べる」を理解する。 これが最初のステップだと思います。

 そうして、「比べない」「計らない」に至るには、なぜ自分が比べているのかを知って、その思考パターンを見ることです。そこで、もし比べることで幸福になっているなら問題はないのですが、比べることで不幸になっている事実をつきとめたら、止めることができます。

★なぜ比べるのか知る。思考パターンを知る。 ★比べることで不幸になっている例を観察する。

 スマナサーラ長老は、「比べる」のは、「自分に自信がないからです。」と明確に根本仏教講義で説かれています。この言葉も簡単ですが、とても奥が深いです。自分に自信がないから計るのです。  お弁当の例で説明すると、目の前の自分に与えられたお弁当を安楽に食べている人は、他の人の弁当と自分の弁当を比べたりしません。それが高価であるとか安物だとか、計ることもしません。その弁当の値打ちを計るのは、自分に自信がないからです。  お母さんや奥さんがこころをこめて作ってくれたお弁当を、他の人の弁当と比べたり、お金に換算したりして計ることが愚かであることは誰でもわかるでしょう。 「計る」「比べる」のは、「自分に自信がないから」と仰った長老の言葉は興味深いです。

◎与えられていない物を欲しがらない。  他の人の物を欲しがらない。  選ばない。  欲ばらない。  少欲知足で安楽に生きる。

「比べる」は、不善心所です。「欲」のグループに属していることも覚えておくといいです。

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★質問: あなたが今までに何万回としてきた、食事で忘れられない食事はありますか? 一番、美味しいと感じたのはどんな食事でしたか?

 私はこの質問に対して、昨日知恩院の修行道場で食べた丼飯のお話をしました。もう一つ忘れられない食事があります。  40代の終りに、盲腸の発見が遅れて腹膜炎になりました。絶食して胃の中を空にして全身麻酔の手術を受けました。二日間は何も食べずに点滴で寝ていました。二日後の午後にようやく食事の許可が出ました。その時、病院の昼食は既に終わっていました。私は歩く元気がないほどお腹が減っていました。 ペシャンコの身体でヨレヨレになって一階の売店に食べ物を求めて歩きました。店に梅干しのオニギリが売っていたので私はそれを買いました。病室に帰って病院のお茶でそのオニギリを食べたのですが、あれほど美味しく感じた食べ物は未だに見つかりません。ほんとうに空腹だったので、一粒一粒の米の形や甘さまで感じられるくらいに味わいました。梅干しを食べたときは、その甘みと酸味の刺激はこの世のものと思えないほどの醍醐味でした。病院の薄いお茶もその苦味や香りがそのままに美味しかったです。食べながら身体に力が生まれていることも感じられました。

 私が体験した忘れられない食事は、いずれも決してご馳走ではありません。また、比べたり、選んだりする、猶予はなく、不平不満の出る隙間はどこにもありません。

 選べることが自由と勘違いしている人が多いのですが、選ぶことは葛藤であり、憂い悩み苦しみの元でもあります。

 「比べる」ことの学びは、「知足」というテーマに繋がってきました。以前お話した、「豊かさ」の勘違いがからんできます。物と心の両面が揃ってこそ豊かという言葉に、まったを掛けられたのもスマナサーラ長老でした。(12月10日の日記)

 豊かさも、「すべてはこころを元とする」の例外ではないようです。「知足」は、そこにあるもので満足し、不平不満や争いのないことです。



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