掃除と冥想

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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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掃除と冥想  皆さん、お風呂の掃除はされますね? 私は夫婦二人暮らしなので毎日しませんが、三日に一回程度、バスマジックリンを使って排水管まで掃除します。家の掃除も毎日しませんが、埃が目につくようになったらします。階段がよく目立ちます。トイレも汚れに気づいたら掃除します。本堂は使った後、使う前に簡単な掃き掃除をします。90代の先代住職と母は、未だに毎日のように、境内の草引きなど掃除をしてくれています。車も乗る前に簡単な掃除をします。そう言えば食器も毎度毎度、使ったら直ぐに洗うし、身体は毎日お風呂に入って洗います。

 さて、それでは肝心のこころはいつ掃除されますか? この話は、二三日前から、なんで私は毎日懲りもせずに冥想するのだろう? なぜ私はこうして坐っているのだろう? と直球の疑問が生まれてその返答が出来なかったので静かに考えたことです。

 仏教ではパーリ語に、バァーヴナー bhāvanāという言葉があり、それが修行と訳されました。「修めること」「修得」「修養」といった意味ですが、私はそれが「こころを育てること」=「冥想」であると教わりました。別の表現をすると「こころの手入れ」「こころの掃除」です。

 仏教では真実として、人間は「こころ」と「身体」でできていると説きます。詳しくは五蘊になります。身体の掃除は大方の人が毎日好んでしています。お風呂に入って綺麗に洗い、その他の身体の手入れも大変入念にする人が多いです。 しかし、これは私の半分か五分の一に過ぎません。

 このように考えたら多くの人は、こころの掃除、こころのお手入れをどのようにしているのでしょうか? こころの掃除は考えたこともない、寝たら疲れも取れるのでこころの汚れも落ちるだろう…と、いい加減です。  目に見えるもの、物質だけを大切にして、目に見えないもの、肝心なこころをないがしろにしています。私の人生を振り返ったら、こころの掃除やお手入れをしたこともなかった為に、40代には大変ひどい目に遭いました。自業自得です。

 私は気がついたら、毎日どころか、こころも使うたびに掃除する、汚れに気づいたらそれを落とす、瞬間瞬間に掃除してこころが汚れない、とても素晴らしい習慣が身につき、萬の不幸から免れることが出来るようになったと確信しています。  それでも毎朝坐るのは、掃除であり日々の手入れです。冥想という掃除は福楽が大きくてやめられません。慈悲の隨念や無常の隨念は汚れないコーティング・ワックスのような感じです。ヴィパッサナー冥想は、すべて捨てる究極の掃除です。冥想は使ったこころの掃除、日々の当たり前の手入れだと思いました。


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