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 常に、自分の「意志」に気づいていることが幸福へのスタート地点です。


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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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★冥想日記 2019/10/10


 業kamma カンマという言葉の元の意味は、「行為」です。しかし、覚者はこれを「意志」と理解しました。英語ならintention、パーリ語ではcetanāチェータナーになります。  行為は粕(カス)のようなもので、問題は「意志」にあります。たとえ殺生したとしても、知らずにアリを踏んでしまったというような事なら、その行為の結果で不幸になることはありません。  どんな人も幸せになりたいと思って生きているのに、幸福になれないのは、この「意志」に気づいていないからです。あおり運転をするような人には、「相手を傷つけてやろう」とする意志(悪意)があるので、幸せになれるはずがありません。自ら毒を飲むような行為です。

 彼は自分の明確な悪意(意志)に気づいていないのでしょう。それは、意識には表層意識と潜在意識(無意識)があり、愚かな人(気づきのない人)は、潜在意識に支配されて行動しているからです。潜在意識とは、先ず「貪・瞋・痴」の三毒煩悩と考えていいと思います。本能などもその中に入ります。  賢者(冥想熟練者)は、意識と無意識の水平線がどんどん下がって、すべてが一つの意識へと近づきます。そこで、自分が幸せにならないような、意志(煩悩)の奴隷になることはなくなります。  せっかく、ブッダの冥想に出会うチャンスがあったのに、冥想をやめてしまう人は、このような単純で純粋な自分の意志の観察、「自分を知ること」を理解していないからでしょう。  常に、自分の「意志」に気づいていることが幸福へのスタート地点です。そして、それがゴールでもあるので、ブッダは怠ることなく気づきを保てと最期に仰ったのでしょう。


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