学び|根本仏教講義「心のカウンセリング」


Japan Theravada Buddhist Association

学び|根本仏教講義「心のカウンセリング」  心がいつも安らいでいれば人間はいつも幸福感、充実感で満たされます。ところがそううまく行かないのがまた心の厄介なところです。自分の心を根本的に変化させなければ、永劫の清らかさは得ることができません。一時的な安らかさは得られても、すぐまた違うかたちの苦しみに責めたてられるのが人間の心の難しさなのです。しかも、人間はいまの自分の心というものを変化させることに恐怖に近い忌避の感情があるという困った存在なのです。無明の心とでも言えばいいその有り様に人間はしがみつき、そこから離れると自分のすべてを失うのではないかと畏怖するのです。  そういう心理を逆手に取ってかどうかは分かりませんが、いまの宗教は本来人間が自分でしなければいけない修行を、その人に代わって勤めてあげることを売りものにしているといっていいでしょう。その代わりに、お金を要求するのです。信者はお金で心の安寧を買っているのです。先ほどの、ダイエットの例といったいどこが違うのでしょうか。信者は、いまのままの心の状態を変えることなく、金銭を支払うことによって、心を清らかにできたと錯覚しているのです。  ところで、私たちはお釈迦さまの教えであるヴィパッサナー瞑想を実践しております。 このヴィパッサナー瞑想は体験された方はよくお分かりのように、私たちのこれまでの心の概念というものを根底から覆してしまいます。これまで知っていた、あるいは慣れ親しんできた世の中の実体、本質といったものを根こそぎ引っくりかえしてしまいます。  従って、いまの自分というものにしがみついている人にとっては、ヴィパッサナー瞑想を実践するということには大変な抵抗があると思いますし、一方実践された方にとっては、その場から自分の心の状態が変化していくことが実感として分かりますが、ヴィパッサナー瞑想法を体験した人は初期の段階でたいてい不信感というか不安感というか、みなさん心の激しい動揺を訴えます。これはいったいどういうことなのでしょう。それはヴィパッサナー瞑想法が人間のほんとうの心を映しだしてしまうからです。  見たこともない、考えたこともない自分の弱い心が晒され、それは決して最初に考えていたような美しいものでも、優雅なものでもありません。言ってみれば、見たくないものばかりを見せられるのです。そういう意味では、ヴィパッサナー瞑想法は人間にとってはなはだ迷惑で、大変失礼なと言ってもいい瞑想法です。  見たくないものばかりを見せ、思いたくないものだけを思わせる、心は逃げたいと欲しているのに逃げたいと思っている事象ばかりを浮かびあがらせます。しかも、その瞑想では自分の弱点だらけの心と向かいあってその心と対峙たいじしやっつけることを目的としていますから、この瞑想はまた大変な勇気も必要とするのです。しかし、勇気を出して瞑想法を実践していきますとやがていろいろな物ごとの真実が見えてくるようになります。そしてそこには新たな不安が、また表出します。それは釈迦尊の言う、私たちは一瞬一瞬の変化のなかを生きているにすぎないのであるということ、言い方を変えれば私たちは瞬間瞬間死んでいくのだという認識を持つことができるようになるのですが、それはとりもなおさず、求めようとしても、そのものは常に変化していますから結局は求められないという不満から、実体のないという強烈な不安、恐怖という概念にとり憑かれるのです。 1.釈尊の根本的教え4「心のカウンセリング」 https://j-theravada.net/dhamma/kougi/kougi-004/ Photo by Mattia Ascenzo on Unsplash 生きとし生けるものが幸せでありますように #jtba #仏教 #スマナサーラ長老 #心 #精神

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