冥想日記 2019/10/17   法句経121 

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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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冥想日記 2019/10/17   法句経121  「それは、わたしに帰ってこないであろう」と、わずかな悪行を軽く見てはならない。 水瓶でさえも、水滴で満ち溢れる。少し少しの積み重ねで、愚か者は悪行に満ちあふれる。

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 滋賀の大津市で今年の春に悲惨な交通事故がありました。あの事故が日本中を震撼させたのには理由があります。それは、車を運転する者なら、だれもがあの事故の加害者になり得る点。また、被害者にもなり得ること。さらに、加害者の二人が一見ふつうの主婦であったことではないかと思います。私もあの交差点は何度か通ったことがあり、京阪神ではあの事故の直後に、信号のない交差点でみんながゆずり合って慎重になるほどの影響がありました。

 私は仏教者の立場からあの事故を見て、「自分の都合を優先させる煩悩」が、背後にあることを法話でも引用し、自分も含め車の運転をする人に注意をうながしていました。そして、その後の経過を見守っていました。

「なぜ、あのような事故が起きたのか?」私はいろいろな角度から検べ続けました。加害者を責める気持ちはありません。何故なら、私や私の妻が加害者であって不思議ではないからです。

 しかし、私はあのような悲惨な事故を引き起こすには、想像以上の「悪業」の積み重ねが背後にあるのではないかと、一人で考えていました。行為を仏教では、「業」と呼び、その真意は「意志」になります。つまり、どのような「悪しき意志」が働いて、あのような事故を招いたのかを見つめていました。

 最近になって私が知ったこと(新聞やネットの報道で知っただけで、自分で事実関係を検べたわけではありません)は、過失割合の強い右折した50代の女性は、その後別件で詐欺罪に問われたことです。既婚の主婦なのに、事故の後にラインの出会い系で知り合った男性に対して、脅迫行為をしたというのです。また、事故の裁判でのその女性の行動にも問題がありました。  すべての因果関係を知ることはできませんが、少なくともちょっとした過失だけで、善良な主婦が地獄を見るはめになったのではなさそうです。

 もう一人の女性のことはまったくわかりませんが。ただ気の毒に思います。また、被害者の二歳児やその家族と周辺の方々のことを想うと、軽はずみな言動はできません。ただ、冥福をお祈りするばかりです。

 さてしかし、あのような悲惨な事故が起こらないようにするには、恐怖心や同情だけではどうにもなりません。いたずらに、恐怖心を感じるよりは、私たちは以下のことに気をつけるべきだと思います。

 まず、車の運転をする人は、交通ルールを順守し、自分の都合を優先させるような感情でハンドルを握らないことです。

 そして、仏教者の私たちは、悪いことをしないこと。問題にならないような小さな悪いこともしないこと。小さな嘘もつかないこと。盗むことが悪いことと知っていたら、たとえ一本の糸でも盗まないこと。反対によいことは、タバコの吸い殻一つを拾ってゴミ箱に捨てるように、コツコツと、小さなことから実行すること。

 また、人の為したことと為さなかったことを見るのでなく、自分のしたことと、しなかったことだけを問題にすること。  このような日常の行為(業)の積み重ねから、悪業の開花を防げるのではないかと思うのです。

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法句経122 ビラーラパーダカ長者の事例

「それは、わたしに帰ってこないであろう」と、わずかな善行を軽く見てはならない。 水瓶でさえも、水滴で満ち溢れる。少し少しの積み重ねで、賢者は福徳に満ちあふれる。

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