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仏教では人間は、肉体と心から一時的に成り立っている存在であり、心は認識することがその機能であるとする。


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協会の記事ではありません。

 サークル仲間の所感です。  

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人間には、肉体と魂があってその魂はもともと神性があり、肉体に閉じ込められている、なので神の世界に還ることが肝要であるという考え方。

また自分らは選ばれた民であり、唯一の神こそ正しい。そのみ心のままにすれば、その永遠の神に救済されるという考え方。

仏教では人間は、肉体と心から一時的に成り立っている存在であり、心は認識することがその機能であるとする。

例えば、自分の彼女が街で他の男性と歩いていると、軽いショックと疑念が浮かぶ。あるいは嫉妬心が芽生える。

しかしそれが家族の男性と分かると、ほっとする。そのように認識が生じて展開していくが、そのようなことからでも、それなりに心のあり様、働きは確認出来る。

ただしデフォルトの認識とは、好き嫌い、敵味方、得損、快不快などの本能的な手っ取り早い感情に引きずられるのでほぼ汚染されてしまうことになることが多いという。

エゴを抑えて、人のお役に立ったりして心をコントロールしないと、浄化することはなかなか難しいとされる。

心が汚染されて、なお幸せになることは困難なことではないか。今よくても将来的につけが廻ってきてしまうのではないか。

流れを逆に泳ぐ感じでお掃除をしないとすぐ汚れていくようである。

さらに偏見などを持っていると、汚染の速度は幾何級数的に上がっていくかもしれない。

本能のおもむくまま、感情をエスカレーションさせて行動することは、人間のランクをはるかに落としていく道になりはしないか。

今多くの人たちに兵糧攻めをして、民族浄化のようなことがなされようとしている。これはとても神の国に上がっていく行為とは思えない。

その根底には、異常怒りと欲が渦巻いているとしか考えられないからである。

危険な行為であると思う。

(個人の感想です)

 

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