あなたとの対話(Q&A)|冥想によい環境、悪い環境はあるのか?



Japan Theravada Buddhist Association

あなたとの対話(Q&A)|冥想によい環境、悪い環境はあるのか? Q:冥想と環境について教えてください。冥想によい環境、悪い環境というのはあるのでしょうか?  A:あるともないとも言えないのです。私たちが紹介している冥想は、心を清らかにすることですから、環境は関係ないのです。例えば、体の中には免疫システムがあって体を守っています。いい環境で生活してください、というなら免疫システムはいりませんね。よくない環境にいればいるほど、免疫システムが頑張って働いて強くなっていくのです。無菌状態で一ヶ月くらいいると、無菌状態の間は病気にならないけれど、一般社会に戻ったときにたいへん危険なのです。からだの免疫システムが機能低下しているので、外に出た途端にかんたんなことで病気になって死んでしまいます。  心の場合もこれに似ているのです。「怒らざるを得ない環境」で怒らない訓練をすれば、自分の修行になります。逆に、怒らないために優しい人とばかりつきあったら、修行にならないのです。かえって、自分に免疫がなくなって、ちょっとした言葉の間違いにも激怒するようになるかも知れません。ですから、これは一概に言いにくいのです。  人の性格が弱いとします。ボクシングをする場合にも、経験のない人をいきなり試合に出したら大怪我しかねません。当たり所が悪かったら、死んでしまいます。初心者は顔にガードをつけて試合してみて、顔にパンチを受けてみて、能力を上げるのです。同じように、精神が弱い人をいきなり「実戦」に出すのではなく、訓練して能力を挙げて、一人前にしてから外に出すということもあり得ます。その場合は適切な環境が必要です。よい環境で訓練して能力を上げるのです。そういう順番で訓練をして、それから試合に出るのです。  冥想の環境もそういうものです。どうしてもダメな人間、気の弱い人間は環境を選んだほうがいいのです。でも、それに甘えてはいけない。必ず外に出ないといけない。訓練が進んだら、環境を離れて外で試合をしないといけないのです。子供が自転車にのる場合は補助輪をつけますけど、つけっぱなしではだめ。訓練してから補助輪を外さないといけないのと同じことです。  人がうるさくて怒りが出てきそうになったら、「いま仕事するときだ」と、怒りが出てこないように気をつけることです。子育てでは、お母さんは怒りっぱなし。そこで「怒らないこと」の修行をしてみるのです。子供がやってはいけないことをやっていて、それを止めさせないといけない。怒らないで、どのように対応しましょうか、と挑戦してみれば、そこでいろんな智慧が出てきますよ。  もうひとつ、体が環境に適する、適さないということもあります。例えば、私のような年寄りには厳しい環境は無理です。厳しい環境にいて、冥想が完成する前に死んでしまったら困ります。その場合は環境を変える。食べ物が体に合わないということもある。それでは、心を育てるどころではありませんから、そういう処は避けるのです。  このように、その都度その都度、理性で考えて欲しいのです。断言的にこれと決めてはいけないのです。冥想に適した環境、という場合はよく調べて理性で判断すること。でも、みんなが忘年会しているところで冥想するとか、それは止めたほうがいいのです。  お釈迦様も托鉢に出るときは、「お祭りをしている処は避けなさい」と仰っています。祭りをしているときには、その村に行かないようにする。そこでちょっと環境を避けますが、それも断言的な決まりではないのです。時々、わざと祭りをしている街に托鉢に行く場合もあります。  その場合は、人格者の大物のお坊さんが、自分と関わりのある在家の人が祭りに参加して悪いことをしたら困ると、あえて行くのです。それで、その方の世話をするうちに在家の方もお祭りに行く時間がなくなるのです。  日本だったら、環境は大丈夫でしょう。蚊もいませんから。自分の国、スリランカだったら、蚊がたくさんいますよ。日本は蚊もいないし、けっこういい環境だと思います。食べ物の問題もないし、家の中も清潔でしょうし。冥想しようと思えば、すこぶる環境がいいと思います。仏教では、あえて◯◯に行って冥想しなくちゃいけない、という場所はないのです。しかし、自分を育ててくれる立派な師匠がいるならば、そこに行くべきです。  結論としては、自分をしっかり育ててくれる師匠がいるところが、冥想に適した場所ということです。それでも自分で自分の心を育てることが冥想ですから、断言的な条件ではないのです。仏教の世界の「よい師匠」とは、教えることはさっさと教えて、「はい、出ていってください」という態度を取るのです。弟子を甘えさせないのです。疑問があれば質問できますが、ずっと一緒にいて依存するという関係は、よい師弟関係ではないのです。  仏教はいつでも理性で適宜に判断するのです。断言的な項目を挙げて、人を束縛することはしないのです。理性で判断できる能力を、一人ひとりが育てないといけないのです。 https://j-theravada.net/dhamma/q&a/201105qa/ Photo by Ben Blennerhassett on Unsplash 生きとし生けるものが幸せでありますように #jtba #仏教 #スマナサーラ長老 #冥想 #環境

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