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『自分の本音に気づかないから、幸せになれない』

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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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冥想日記 1月8日   『自分の本音に気づかないから、幸せになれない』

 お正月行事の途中に続けて葬儀が入り、枕経・通夜・葬儀・通夜・葬儀・中陰…と昨日まで慌ただしい日が続きました。ようやく今日から身も心も解放です。  表題の言葉は、スマナサーラ長老の『こころを清らかにする言葉』No,53です。

 坐る冥想をしていて、「何だか変?」こころが落ち着かない時があります。そんなとき、そんな自分に気づいたら、私は迷わず冥想を一旦止めます。強く言えば、冥想を捨てます。

 そうして、自分の本音を静かに探ります。たいてい出てくるのは、驚くほどつまらないことです。「洗濯物を干したい」「買い物に行きたい」「うどんが食べたい」「仕事の用意をしたい」…、ほんとうにクダラナイ諸々の「欲」です。そうして、一つひとつ丁寧に気づきを入れると、これらは消えて行きます。「瞑想するぞ!」という欲と、「買い物に行くぞ!」という欲は、仲良くないので、話し合いをして仲直りさせるのです。

 単純なことですが、「瞑想するぞ!」という欲が強く、「正しい」としている人には、この初歩の「気づき」がないのです。  「瞑想するぞ」という欲で、ありのままの自分を見ることができず、もろもろの欲を封じ込めています。これでは静寂には至りません。

「それじゃ、冥想をして午後に買い物に行けばよい!」この分かりきった意志を明確に意識化します。曖昧な思考ではダメです。  自分の本音に気づいて、冥想を捨てる(欲を捨てる)ことが、気づき冥想の本質だと思うのです。

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