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『こころと身体はどちらが先に死ぬのか?』

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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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『こころと身体はどちらが先に死ぬのか?』  4月15日 婦人会総会で「涅槃」について法話しました。

「涅槃」とは何か? 「涅槃」と「死」はどう違うのか?  といった問いかけから入りました。図を見て話の大筋を想像して下さい。

 涅槃はパーリ語でニッバーナnibbāna、サンスクリット語でニルバーナnirvānṇaと言います。涅槃はニッバーナを音写した漢字です。もとは「煩悩の火を消す」という意味で「消す」という動詞からできた言葉です。生命が持っている煩悩の炎が吹き消されることです。三毒煩悩の貪瞋痴が消されて、もう二度と輪廻の生を得ることがないという意味です。

「涅槃」は他にどんな呼び方をするのか? 「泥洹」ナイオンという音写もあります。 「寂滅」本来の意味から訳すと寂滅となります。静寂に滅する、静かに消え去る。 「入滅」生命の火が消されるという意味です。 その他にも、「円寂」「出離」「滅度」「彼岸」「悟り」「解脱」…まだまだあります。涅槃や解脱はもともと言葉で表現できない感覚を超えた世界なので、それを表現された言葉は数え切れません。

 私は今回の法話で注目したのは、ブッダは30代にすでに涅槃に入られたという事実です。それはこころの死滅を意味します。覚者は先にこころ(苦しみの生存)が解決して涅槃に入ります。肉体が残っているので人間としての生存は続きます。その後、覚者の肉体が死滅するとき、完全な涅槃に入るので、それを「般涅槃」「完全な涅槃」「無余涅槃」パリニッバーナparinibbāna と言います。大般涅槃経とは、mahā-pari-nibbāna-suttantaという言葉の漢訳です。

 凡夫の死とは、単に肉体が病気などで死滅することです。こころが解決されていない、煩悩の炎が消されていないので、残った煩悩・生存欲の縁起で次の生に入ってしまいます。ほんとうは死んでも死ねないのです。これを輪廻と言います。証明は難しいですが、仏教を学んで冥想実践すれば、当たり前のことと理解できるようになります。

 仏教は輪廻からの解脱こそを目的に説かれた教えで、涅槃に至る道です。それは完全に死滅することです。ですから、健康に注意することは悪いことではありませんが、基本的に肉体の死は放っておくのが基本です。問題はこころの方で、こころは自分の意志で死滅させない限り滅することはないのです。

 終活という言葉も本来は、こころの始末、決着を自分ですることです。浄土教では、往生という言葉がありますが、これも自分の意志で往くことが基本です。世間で言っている死とは、単に肉体が老朽化して朽ち果てることで、乗ってる車を廃車するようなものです。

 肉体の死が訪れる前に、周囲とのわだかまりをなくして身辺を整理して、一切の思い残すことを捨てて、自分の意志で死に往くことが肝心です。それを「何時かするわ」ではなくて、日頃から実践するのが死隨念です。  ブッダは30代ですでに身辺整理を終えて、こころは死滅していたということです。それに、自身の告別式は生きている間に終えられたのです。その姿が涅槃図に描かれています。

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