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「刺激がないと死んでしまいますから」

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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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「刺激がないと死んでしまいますから」

関西ダンマサークル黄檗道場 平成31年3月16日 参加して ここでも資料は、3月号のパティパダー「智慧の扉」の例の資料でした。

★刺激がないと死んでしまいますから、死なない程度に刺激を与えるのです。

 この言葉はとんでもない内容だと私は思います。ふつう私たちは、「生きていて刺激を楽しんでいる」位に理解していますが、真相は「刺激がないと死んでしまう」というのです。  俗世間で生きるとは、刺激を受けて、自ら刺激をつくって、釣り針で対象を釣り上げることです。それでこそ生の実感があると言うのでしょう。美しい! 美味しい! 楽しい! 釣り針に対象を引っかけて、その刺激を楽しむことが人生なのです。  しかし、確かに死とは、身体からすべての感受(刺激)がなくなることです。肉体の死がやってきても、まだ何かしらの刺激が欲しいから輪廻して次の身体を得るということでしょうか?  ヴィパッサナー冥想では、感受にとどまると言います。この意味は生きるに必要最小限の刺激にとどまることだと思います。そして、それは普通の人にとって楽しいことではありません。光や音、刺激に触れて、美しい、美味しい、楽しいと刺激を追うことが人生の醍醐味なのに、音でとどまる。味でとどまる。これが釣り針のない釣りで例えられる、冥想の道しるべです。それは俗世間ではつまらないことです。何とも居心地が悪いのです。だって、どんな対象に触れても、見たら見ただけ、聞いたら聞いただけ、考えたら考えただけですから。  海に釣りに出かけて、本当に釣り針をつけずに釣りをしている自分の姿を想像して見てください。何とも味気ないです。しかし、それこそが冥想の道しるべなのです。

 冥想で感受から受ける「喜悦pîti」の質の異いが分かれ道なのでしょう。ですから、日常生活で楽しい刺激を探してる、冥想でも何かしらの境地を求めている、涅槃を対象化して、解脱寸前など言ってる間は、正精進の道から外れているということでしょうか。目標を対象化して「ある」としている間は、ただの釣り人です。外にも内にもなにもない、すべてを放っておくということなのでしょう。

 「刺激がないと死んでしまう」は、事実だと思います。

 今月の智慧の扉には、興味深い言葉が他にもあります。まさに智慧の扉です。

★貪欲は満たせないと知る人は、必要を理解するのです ★知足とは、喜び・満足という意味です


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