2020年12月10日2 分

※これらの考察はスマナサーラ長老の『ブッダとの対話』などから冥想を通して学んだこと

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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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12月10日 冥想日記 『壊れるのが世界』
 
 昨日のバーヒヤ経考察で書き足らなかったことですが、仏教ではすべての世界を六処・六入と説きます。それは【眼耳鼻舌身意】と【色声香味触法】が触れて現れる、【眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識】の六つです。五感のすべてを統合しているのが、六番目の感覚器官の 【意識】viññāña です。
 
 私たちが世の中とか世界、宇宙自然界と言っているものの正体は、このたった六つの世界、もっと極端に言えば六番目の【意識】だと言えます。物理的な外界と輪廻は別にして、私たちは死んだら意識が消えて世界も消えます。世界はたった六つだけ。そして、その一つひとつの世界は「壊れゆく」、というより『壊れるのが世界』です。
 
 また、瞬間に壊れる意識が生れたら、意識世界で「苦・楽・不苦不楽」の三種類の感情が生れますが、これも「壊れゆく」ものです。 
 
ヴィパッサナー冥想で、自分を観る、明確に確認するのはこの六つの壊れゆく、【六識】です。何を考えても、どんな世界も「壊れゆく」と見ることが悟りの世界への道標と言えます。
 
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バーヒヤ経の例の言葉は、
 
『見たものは見ただけ、聞いたことは聞いただけ、考えたことは考えただけ、それ以外に何もない、すべては壊れゆく、これが苦しみの終焉です。』と読みかえられると思うのです。
 
※これらの考察はスマナサーラ長老の『ブッダとの対話』などから冥想を通して学んだことです。

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