2020年7月8日10 分
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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。
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★スマナサーラ長老のパーリ経典解説 2020年7月5日
相応部 大偏11 預流相応
Veldvāreyyasuttaṃ『ヴェールドヴァーラ経』を聞いて
病室のパソコンから拝聴しました。たいへん内容の深い経でしたので、自分の言葉でレポートします。知識やプライドのあるバラモン人への説法のようでした。
バラモン人は、自分は出家托鉢して暮らすことは好まないが、家庭を持ち子どもたちと暮らしながら、幸福を享受して、天界に生まれたいのだと。その道をブッダに尋ねたことがはじまりのようです。ブッダは彼らの意志を束縛することなくそのまま説き始めます。
ブッダは最初に「道徳の成り立ち」をたとえ話で説明します。
あなた方はまず、「生きていたい。死にたくはない。楽しく暮らしたい。苦しみは避けたい。」と望んでおられるでしょう。まず、このことを見て下さいと。ここが最初の重要なポイントです。自分で自分を観察して、このありのままの自分を見なさいということです。
もしそのように自分を観察できたなら、自分が自分の命を奪おうとするものを強く恐れ嫌がることが理解されるでしょう。そうならば、他の生命にも同じことが言えます。私の嫌なことは他の生命も嫌がるのです。私の嫌なことをどうして他の生命にできるのでしょうか?
この自己観察によって、私にも私以外のすべての生命に共通する生命の本質が理解できたら、どうして殺生ができるのでしょうか? というのがすべての道徳の原点にあるようです。
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そこで、正しく目覚めて他の生命を殺すことを止める。(不殺生)
① 彼は正しく目覚めて、他の生命を殺さない者となる。
② 他者に対しても、殺生を離れることを勧める者となる。
③ 殺生を離れることを賞賛する者となる。
このようにして彼は三つの点で清浄な者となります。
そこで、正しく目覚めて与えられていないものを盗ることを止める。(不偸盗)
① 自ら盗みをしない者となる。
② 他者に対しても、盗みを離れることを勧める者となる。
③ 盗みを離れることを賞賛する者となる。
このようにして彼は三つの点で清浄な者となります。
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このパターンで、身体に関する三つ道徳
【不殺生】
【不偸盗】
【不邪淫】
言葉に関する四つの道徳、
【不妄語】嘘をついて他の人の利益を壊すこと…
【両舌】(二枚舌)混乱や争いを引き起こす言葉
【悪口】(粗悪語)汚れた言葉で罵ること
【綺語】(無駄話・飾り言葉)
を説きます。
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次は十悪の流れから見たら、こころの道徳【怒り】【貪欲】【邪見】に進むのかと思ったら、三宝帰依の方向に進みました。この辺りは、経典が編集されたのかよくわかりません。
◎十悪
★身の三悪(正行)
殺生 ‐ 無意味に他人や衆生の命を奪うこ
偸盗 ‐ 盗みのこと
邪淫 ‐ 不淫らな異性交遊のこと
★口の四悪(正語)
妄語 ‐ 嘘をつくこと
綺語 ‐ 奇麗事を言って誤魔化すこと
両舌 ‐ 二枚舌を使うこと
悪口 ‐ 他人の悪口を言うこと
★意の三悪(正思)
貪欲 ‐ 欲深いこと
瞋恚 ‐ すぐ怒ること
愚癡 ‐ 恨んだり妬んだりすること
(邪見)間違った考え
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そうして、この経はまとめの方向へすすみます。
このように実践するなら、地獄・餓鬼・畜生の三悪趣に堕ちることはなくなり、他の悪趣への道を塞ぐことができます。つまり、預流に達し、悟りへ至る流れに入ったということでしょう。
いくつかの重要なポイントがあるのですが、この三つの点で清浄になった道徳をariya sîla 「聖なる戒」と言っています。決められたこと、人から言われて守る道徳ではなく、智慧と因果法則で悪いことができなくなり、善に至る。つまり、覚りが決定した者となる道徳です。それがこの経典の要点なのでしょうか。
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「ヴェールドヴァーラ経」(『相応部』55-7)
※光明寺訳を省略して読みやすく意訳しています。
私はこのように聞いた。あるとき世尊は比丘たちとともにコーサラ国に遊行し、ヴェールドヴァーラという名のコーサラ国のバラモンの村へ入られた。
そこで、彼らヴェールドヴァーラのバラモンたちは聞いた。
「友らよ、釈迦族の子弟であり、釈迦族の家より出家したゴータマが、比丘たちとともにコーサラ国に遊行し、ヴェールドヴァーラへ到達した。
その尊者ゴータマへ、以下のような賞賛の声があがっている。
『彼は世尊なり。応供、正等覚、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊なり』と。彼は、この世、梵天界を含む世界、また、沙門とバラモン、王とその民を含む人々を自らよく知り、悟り、導き説く。
彼の説法は、始めよく、半ばよく、終わりよく、意義をそなえ法にそくして示され、完全に円満し清浄な梵行を説く。実にこのような阿羅漢たちとまみえることは素晴らしいことだと。
そこでかれらヴェールドヴァーラのバラモンたちは、世尊のもとへ近づいた。
近づいて、あるものたちは世尊へ礼拝して一方に坐った。
またあるものたちは世尊と挨拶し、慶賀の言葉を交わしてから一方へ坐った。
あるものたちは世尊のもとへ合掌を向けて一方に坐った。
あるものたちは、釈尊の面前で名前を告げて一方へ坐った。
あるものたちは黙って一方へ坐った。
一方へ坐った彼らヴェールドヴァーラのバラモンたちは、世尊へこう言った
「尊者ゴータマよ、我々はこのような欲望あり、このような意欲あり、このような欲求ある者たちです。(kāma chandā adhippāya )
我々は家庭を持ち子どもたちと賑やかに暮らし、カーシ産の高級な、香を愛用して、身なりを美しく保ち、富を享受し、死んだのちには天界へ生まれ変わりたいと望んでいます。
その我々、このような欲望あり、このような意欲あり、このような欲求ある我々へ、尊者ゴータマは法をお示し下さい。すなわち、我々は家庭を持ち、子どもたちと……
……天界へ生まれ変わりたいと望んでいます。
世尊が答えた。「居士たちよ、私はあなた方の望む法門を教示しようと思います。」
それを聞き、よく深慮して下さい。私は語ることにしましょう。
「そのようにお願いいたします。尊者よ。」と、彼らヴェールドヴァーラのバラモンたちは、世尊へ応えた。
世尊はこう仰った。
では居士たちよ、如何なる法があなたたちの望む法門なのでしょうか?
居士たちよ、ここに聖弟子がいて、このように深慮するとしましょう。
『私は生きることを欲し、死なないことを欲し、楽を欲し、苦を嫌う者である。生きることを欲し、死なないことを欲し、楽を欲し、苦を嫌う、私から命を奪おうとするような者があるならば、そのことは私にとって、怨憎の心地悪いことでしょう。
それなのに、もし私が、生きることを欲し、死なないことを欲し、楽を欲し、苦を嫌う他の生命から命を奪おうとするならば、そのことは他の生命にとっても、怨憎の心地悪いことでしょう。
私にとって怨憎の心地よくないことがら、それは他の生命にとっても怨憎の心地悪いことでしょう。私にとって怨憎の心地よくないことを、それをどうして、私が他の生命に対して与えることができるのでしょうか』と。
彼はそのように深慮して、
一つ、自ら生きとし生けるものを殺さない者となり、
一つ、他者に対して殺生から離れることを勧める者となり、
一つ、殺生を離れることを賞賛する者となります。
このようにして、彼の身体の正行は、三つの点において清浄なものとなります。
さらにまた居士たちよ、弟子はこのように深慮します。
私から与えられていない物をひそかに取るような者があるならば、そのことは私にとって怨憎の心地悪いことでしょう。
それなのに、もし私が、与えられていない他者の物をひそかに取るならば、そのことは他者にとっても、怨憎の心地悪いことでしょう。
私にとって怨憎の心地悪いことがら、それは他者にとっても怨憎の心地悪いことでしょう。
私にとって怨憎の心地悪いことがら、それをどうして、わたしが他者に対して与えることができるのでしょうか』と。
彼はそのように深慮して、
一つ、自ら偸盗を離れた者となり、
一つ、他者に対して偸盗を離れることを勧め、
一つ、偸盗を離れることを賞賛するものとなります。
このようにして、彼の身の正行は、三つの点において清浄なものとなります。
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中略
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居士たちよ、弟子は、これら七つの正法、これら四つの望ましき状態を具足する者であるがゆえに、彼は自ら自分の望んだものになることができます。
『私は地獄に堕ちることがない者、畜生界に堕ちることがない者、餓鬼界に堕ちることがない者、苦界・悪趣・堕処が尽きた者である。私は預流、悪趣に堕ちることのない法を有する者、〔さとりを得ることが〕決定した者、正覚へ至る者である』と。
このように言われて、ヴェールドヴァーラのバラモンや居士たちは、世尊へこう言った。
「尊者ゴータマよ、素晴らしい……
……尊者ゴータマよ、この我々は、世尊へ帰依し、法へ帰依し、また比丘僧伽へ帰依いたします。尊者ゴータマは我々を、今日以降、命ある限り、帰依をなした優婆塞たちであるとご記憶下さい」第七〔経〕。
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7月8日 冥想日記 『ヴェールドヴァーラ経』から学んだことⅡ
先日学んだ、『ヴェールドヴァーラ経』は、道徳の起源に触れてあり、長老も「聖なる道徳」といった言葉を使われていました。簡単に言えば、「自分が嫌と思うことは、他の生命に対してもしない」といことになると思いました。
しかし、この単純なことがまったく守られていないのが私たちの生きている「欲界」と呼ばれているこの世界です。
誰だって、他から傷つけられる、中傷されることは嫌です。それなのに、私たちは他者に対して平気でそのような言動にでるのです。誰だって殺されること、持っているものを奪われることは嫌です。それなのに、私たちは他の生命に対して、平気でこのような行動にでるのです。
まず、自己観察によって「自分は生きていたいと強く思っている。自分は死にたくないと強く思っている。自分は幸福に生きていたいと切に願っている。」この事実をありのままに見ることが大切です。こころの底からそのことが認められたら、「自分の命を奪おうとするものがいるなら、それはとても恐ろしく、怨憎の念が生まれる。」ことが理解されます。
『この道理が理解されたら、どうして他の生命に対してそのようなことができるのか?』というのが、お釈迦さまの言葉です。
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なぜ、このような矛盾や葛藤、問題が起きるのかと言えば、私たちは肉体を持った生命であり、この肉体(生命)を維持したいという強い「欲」があるからです。これが根本煩悩なのでしょう。このことは、人間であれゴキブリであれ、すべての生命に共通しています。
この経典では、欲についても何通りか書かれています。
“mayaṃ, bho gotama, evaṃkāmā evaṃchandā evaṃadhippāyā”
『尊者ゴータマよ、私たちには、このような愛欲があり、このような意欲があり、このような希望のある者です。』
語っているのは知的なバラモン人です。彼らは自分の欲を素直に見ていることが伺えます。
「欲」は、日本語では「~したい」という感情のことですが、その強さや中味によって、悪いもの、良くも悪くもないもの、どちらかと言えば良いもの…。「欲」には、さまざまな種類があります。ここでは、
★kāma カーマ 欲・愛欲・欲情・欲楽
→ 悪いもの
★Chanda チャンダ 欲・意欲・意志
→ 良くも悪くもない
★Adhippāya アディパーヤ 欲求・望み・意趣
→ どちらかというと良いもの
この他にも代表的なものに、【☆rāgaラーガ=貪・貪欲・染】→ 悪いもの…などがあります。
欲界に生まれ、肉体を持ってしまった私たちは、仏教に出会い、お釈迦さまの教えに触れたのなら、自分に生まれるこの「欲」とうまく付き合い、よく観察することがとても大切です。最終的にすべての「欲」を捨てることが、もう二度と母胎に宿ることのない涅槃と呼ばれる最高の安らぎです。
もう一度言いますが、そのためには逃げないで、しっかりと
★苦しみに出会うこと。気づき観察すること。
★貪欲・瞋恚・愚痴に出会い、理解すること。
★ありのままの自分を見ること。
からはじまります。